奄美大島・名瀬~住用 [九州編その2]
2010年4月19日 月曜日 163日目
奄美大島での初めての朝。ラジオ体操の皆様が三々五々集まって来られる。ヨッシーも6時には起きて、テントを畳んでからいっしょに体操する。
すぐそばのコンビニに移動。ハンバーガーとコーヒー牛乳の朝ごはんをしながら、地図を見て旅のルートを研究。それから携帯で日記を書いて更新する。メール送信で日記が更新できるしくみだが、最初に送った日付のが載らず、つぎに送ったのだけ載っている。
こういうことが続いているのは何が原因だろうか?すぐに気がついて、コンビニ前で改めて投稿し直す。
9時にダイエーに行って買い物。ほんとはお米が欲しかったが、1キロのは置いてなくて2キロの袋しかない。
名瀬の市街を走っていると、奄美新聞社の看板が上がったビルを発見!さっそく飛び込みで取材依頼に伺う。
受付で名乗ると応接に通され、報道部の女性記者が来てくれた。
記者の油井さんも島の出身で、長らく鹿児島などで暮らしたあと、いまは島にもどって仕事をされている。
旅の主旨や、きっかけ、装備、計画、沖縄での体験などを1時間近く時間をさいて、丁寧に聞いて下さった。油井さんの田舎は加計呂麻島だそうで、ぜひいいところだから行ってくださいと言われたら、行かねばなるまいて。
本社前で写真をパチリ。それから国道58号で加計呂麻方面に走る。少し雨模様だが、今日はあんまり遠くまで走るつもりはない。とにかく徳之島では想定外の峠越えなんかもあって疲れ気味であったから、いいとこがあったらすぐ泊まるつもりである。
山の中では食べるものもないであろうと、街中のホットモットでから揚げ弁当300円也を買っておく。
すぐにトンネルに入る。久々のトンネルである。沖縄はトンネルなかったからな~。雨が大粒になる前にトンネル滑り込みセーフ。
しかし出口にいったら雨は強くなっている。そのまま出口付近で雨宿り兼弁当。1時間たったらほぼやみかけたので出発。この先にも大きなトンネルが2つもある。
2つめの新和瀬トンネルも順調に越え、海沿いのサン奄美という特産品販売店で休憩する。店内に入るなり店番のおばさんに、あれ!なにかに載ってた人ですよね~?と言われる。
いや新聞取材受けたのは今さっきだから、なんぼなんでもまだ記事にはなってないと思うが?おそらくおばさんの勘違い。
雨が降り出しそのまま雨宿り。また1時間したら走れそうなので、3つめのトンネルに向かう。これを越えたところに道の駅がある。今日はそこまで行こうと思っていた。
三太郎トンネルを抜け、出口で止まったときに忘れ物に気づく。便利に使っている手ぬぐいをサン奄美に置いてきたようだ。忘れ物といえば那覇での最後の飲み会のとき、帽子をなくしてしまった。たぶん一軒目のあまいかか、その次の栄町のスナックだとは思うが、無くなっているのに気がついたときはもう本部にいた。無くなると不便さがよくわかる。雨のときに帽子のひさしが、メガネにかかる水滴を防いでくれるのである。
ともかくもどることにする。距離もそうだが、坂道もそれなりに越えてきたので、やれやれである。
手ぬぐいはサン奄美にあった。安心したと同時に、雨が強くなった。またここから動けない。
こんどはかなり降り続く。あまりにひまだから、屋根から下がっている鎖を伝わる雨水を写真に撮ってみる。
鎖のまわりはまるで水の棒みたいになっているのが、不思議に見える。
しかし雨はやまない。5時になり、道の駅行きは断念。ちょうどサン奄美の向こう側に見える、スポーツ施設のほうに移動。コンクリートの屋根下にテントを張って休ませてもらう。
晩御飯はめんどくさいから人参とキャベツ入りチキンラーメンじゃっ!
ラジオも携帯も入らず、8時に寝る。雨音がうるさい。
走行 26キロ 出費 1284円 (ハンバーガー、コーヒー牛乳、缶詰、コロッケ、ソーセージ、パン、弁当、缶コーヒー)
プリズンビーチ~亀徳・一万人集会~平土野~奄美大島 [九州編その2]
2010年4月18日 日曜日 162日目
またしても寒い夜だったが、すごい星空であった。天の川を久々に見た。最後に見たのは7~8年前、和歌山県の山中であったと思う。
11時に亀津漁港で、基地反対一万人集会がある。ヨッシーは部外者ではあるが、やっぱ参加して見ておきたい。プリズンビーチから亀津までは20数キロあるから、早めに出なければ。
あわてて準備して、8時出発。県道629は花徳(はなとく)の集落で県道80号に合流する。思ったよりアップダウンが少なく、軽快に進める。
井之川集落は、横綱朝潮関の出身地であった。むかしの稽古場のあとと、銅像を見学。
山を背負った良い位置に、朝潮関の銅像が建っている。えっと、朝潮ってこんな感じのお相撲さんだっけか?
さあ亀徳までもう少しだ。その手前で、富山丸慰霊碑を見に行かんとならん。それは実は、犬田布岬であった関西弁オッサン3人組の一人が、「あれはワシが建てたんや。見に行ってや、見に行ってや」、と念を押されていたからであるが、「ワシ」がホントに建てたかどうか、怪しく思えるほど軽々しい感じの人であった。
早出した甲斐あって、亀徳に10時過ぎに着く。コンビニで、飲みたくてたまらなかったオレンジジュースを買って休憩。イートインスペースに居合わせた女子中学生が、赤い流星号のナンバープレートを携帯で撮っている。QRコードを読みたかったようだが失敗したというので、名刺をあげた。
11時ちょうどに亀津漁港に行く。場所はよく知らなかったが、みんな同じ方角に歩いているのですぐわかった。
ヘリコプターが2機、飛行機が1機飛んでいる。港にはすでに大勢の人が集まっている。テレビの中継車も何台か来ていて、すごいことになっている。
1万人を越えたところで集会が開始される。青年団代表、保健衛生主婦?代表、漁業団体代表、農業団体代表、子育て中母親代表などが順番に基地反対の声明を発表していく。
老人会代表の声が一番大きくて元気があった。入れ歯が飛ぶんではないか?と思うくらい覇気があった。ご本人が入れ歯かどうかはヨッシーは知らんが。
感想。
盛り上がってはいるが、ちょっと危うい感じも受ける。勢いがあるうちはいいが、それが陰ってしまったときに盛り返せるなにかがまだ足りないような感じを受けた。闘牛好きな徳之島人の血が、カーッとなりやすく冷めやすいものでないことを祈る。
沖縄でも辺野古、伊江島、勝連などの反対運動を見たり聞いたりしてきたが、どこも、「こっちには来ないで!」、という主旨の反対である。それはそれでいいのだが、もっと視点を変えて、日本にとっては米軍基地がホントに必要なのか?米軍には日本の基地がホントに必要なのか?そして思いやり予算は必要なの?というところをはっきりさせようという声がもっとあってもいいのではないかと思う。そのためには、各地の反対運動の連携ができたりすればいいし、一番大事だと思うのは、本土にいる国民が、基地問題は対岸の火事的な日和見をやめることだと思う。
国は政治家が動かすんではなくて、国民が動かすべきちゃうんかい!なにかといえば選挙で国民の意志を伝える、とか、今度の参院選挙で結果が出る、とか言う。
国民の意志表現方法は選挙しかないんかい?!昔から直訴、とか百姓一揆、とか非常手段があったやんか。ぬるいこと言ってないで、いまこそ基地問題を契機にして一人一人がなにかするときやと思うけどなあ。
まずはヨッシーの行動としては、一万人集会に出て、思った、ということである。
さて、基地問題はこれくらいにして、ヨッシー的には洗濯問題を解決しにコインランドリーに行く。
せんたっ機が動いている間に、ランドリー内のテーブルでのり弁を食う。ああ我がのり弁人生哉。
表に出たら、4人の女子高生が自転車を囲んでいる。自転車の旅に興味あるか?と聞くと、いっしょに行きたい~!という。おお、なかなかオッサンの喜びそうなツボを知っとるやないか。
基地には反対ですか?と聞くと、全員反対。理由は、米兵がきたら治安が乱れる等。
でも基地がきたらお金が落ちるから、それに期待して賛成の人もいるんじゃない?と更に聞くと、そういう人もいるとは思うけど、最後は反対の人が勝つ!と言い切った。
記念に写真を一枚。
乾燥機を使うのがもったいないし、今日はいい天気なので洗ったものを持って、初日に泊まったゲートボール場のある公園に行く。木にロープを張って乾していると、通り掛かった不思議なおじさんに話し掛けられた。
何人?と思う日本人離れした顔立ちで、話す日本語もちょっと危うい。しかし島生まれであるし、名前も作山さんという。
作山さんからカンパを1000円いただき、立ち話する。豊中におじさんがいるとかで、関西の地理もよく知っている。政治のこととか旅のこととか話していると、家にかえって焼酎とって来ると言う。自分は飲まないので、もらってくださいと言われてありがたくいただいたが、
これはどう見ても、どちら様かのお家の新築祝いに配ったもの。何のゆかりもないヨッシーがいただいてしまっても良いのだろうか?良いのである!感謝。
作山さんは車からギターを出して来て、軽やかに歌ってくれたのは、アリスやバンバンのいちご白書とか、ヨッシーと同年代の歌ばかり。鑑定のため生年月日を聞いたら、同い年ではないか!心相数は821。ヨッシーの親友に821が3人もいる。縁のある数字の人であった。
作山さんと別れ、本日亀徳港から出るフェリーの確認に立ち寄ったら、いままでの幸せな一日を揺るがす一大事が起こっていた。港の案内に、本日強風のためフェリーは平土野港への入港に変更されました、と書いてある。
いま2時半。平土野入港が4時半。2時間しかない。平土野は亀徳とは島の反対側で、山越えの上に距離も20数キロある。あほかー!ぎりぎり間に合うかどうかやないかー。これを逃すと奄美行きはまた明日になる。
5秒迷ったが、走ることに決定。山越えがある場合の平均時速が10キロだから、ぎりぎりである。しかも乗り損ねたら、明日の船は今の所亀徳入港なので、また走って戻らねばならん。かなりリスク高い。やるっきゃない(by掘ちえみ?土井たか子?)。
お昼頃には、今日は楽勝やなあ~と思っていたのに。また走るとは。
花徳までもどる。もうほとんどプリズンビーチ近くやないか!まるまる来た道もどっとるぞ!
花徳から県道80号は山越えルート突入。あと8キロの看板。ここで3時半である。あと1時間。
一直線の道路は、滑り台のように真っすぐ空に向かって続いている。右ひざが少し痛むので、急ぎつつも無理しないように気を使う。
追い越していったマイクロバスの窓に、「平土野行きシャトルバス」と紙に書いて張ってある。うそー、案内のおばちゃんバスがあるなんて一言もいわんかったやんかー。あほーーーー。
しかし、バスに自転車は乗らんかったから、やっぱ走るしかなかったか、と自分を慰める。
思ったより坂道は少なく、下りになったら一気に平土野まで走り切る。4時10分到着。港は人と車でごったがえしている。テレビの中継車や、一万人集会に参加した奄美からの団体さんなどだった。
4時半に無事フェリーに乗り込む。ホッとしてシャワー。暖かいお湯が気持ち良い。もう一生フェリーに乗っていたいくらい心地良い。
ビール飲みながらハンバーグ定食820円を、作山さんからのカンパでいただく。めちゃウマ。昨日から夢にハンバーグが出てきて食べたかったのよね~。
奄美大島の名瀬港まで4時間の船旅である。船室で横になると眠ってしまった。
つぎに起きたらもう名瀬である。あ~もっと乗っていたい~。長野くんにメールしたら、なんとこの船に乗って鹿児島に旅立つということで、いま波止場にいる。
車両甲板から流星号でびゃーんと港に下り降りたら、目の前で長野くんが手を振っていた。ちょっと間の会話で、奄美のことや徳之島でのことなど情報交換した。
船は鹿児島目指して出て行き、ヨッシーは夜の名瀬を走って長野くんに聞いた公園に行く。港そばの公園で、トイレも芝生もある。ヨッシーは少し小高いところにある展望台にテントを張って眠る。
あ~、疲れた。
走行 56キロ 出費 6061円 (オレジュー、弁当、コインランドリー、発泡酒、ハンバーグ定食、フェリー代)
犬の門蓋~プリズンビーチ [九州編その2]
2010年4月17日 土曜日 161日目
晴れてるが寒い寒い夜であった。6時半に目が覚める。
いちおうくじらを見張るが現れず。8時半に出発する。
平土野港経由で空港に向かう。空港に用事があるわけではないが、行けばちょっと都会的な雰囲気を味わえるから。それと飛行機を眺めるのだ。
途中、西郷隆盛が島流しされたとき、上陸した場所としての記念碑を発見。
名が西郷南洲翁となっているが、当時まだ36歳だった。その若さで翁とはいかがなものか。それならヨッシーはダブル翁くらいなものである。
記念碑を読むと、西郷さんがこの地で暮らしたのは93日間だったそうである。その短期間の間に島の人になじみ、若者達に教育をほどこし、薩摩の役人達の非道を諌めたりして大人気ものになっている。それであるゆえにこのような碑が建てられているのであろう。
空港で飛行機観察。飛んで来るのがプロペラ機なのがかえってうれしい。
離陸の瞬間を撮ろうとしたら、失敗して金網にピントが合ってしまった。
駐車場でタクシーのおじさんと話しする。西郷さんの住んでた家が残っているというので、教えられて行ってみる。
住居跡?のような石碑はあったが家はないみたい。石碑の横に、当時西郷さんが若者達との力競べに使ったという玉石が置いてあった。一個持ち上げてみたが、とても上がらない。無理したら腰が壊れそうなのでやめておく。
碑文に、「島妻、愛加那との再会と涙の別れ」、とある。なんと西郷さんは島にも奥さんがいたとは。たった3ヶ月間の間に、である。偉人は何事につけても行動が早いものである。おそるべし、西郷どん。
県道629にもどり、島の北を目指す。ここで尚子ロードの碑を発見。
尚子といえばマラソンの高橋尚子である。徳之島で練習していたことから、記念碑が建てられたそうである。
座右の銘として、
何も咲かない寒い日は 下へ下へと根を伸ばせ
やがて大きな花が咲く
とある。
もうヨッシーくらい根を伸ばしまくっていたら、そうとう大きな花がそろそろ咲いてもいいんではないだろうか?いかがなものか?
さて、灯台ハケーーン!
与名間崎灯台。先日の灯台同様、そんなに大きくない。お決まりで記念撮影。
これで徳之島の全灯台制覇である。灯台ハンターのノルマ達成。
県道沿いにあったJAで弁当買う。なんだか近所のおばあ達が大挙してやってきている。卵だか洗剤だかが安くなってるのが目当てのようだが、めいめい勝手にレジにやってきては並ぶ順番もなにもなく、カウンターの上に品物をばらばらと置いて行くものだから、他人のものと混ざってしまい計算のおねいさんが困っている。
「はーいみんなカゴに品物入れましょうね~」、と言っているが、おばあに聞く耳無し。しかしなんだかほほえましい光景であり、急ぐ旅でもないヨッシーは、ずっと観察していたのである。
ムシロ瀬に立ち寄る。
島には珍しい花崗岩の岩が連なる海岸であり、その形がムシロをたくさん敷き詰めたように見えることから名が付いた。
ヨッシーもムシロのひとつに腰をおろしてのり弁を食う。
次は金見崎のソテツトンネル。小道の両側に植えられたソテツが、トンネルのように続く観光地。ヨッシーは果敢に自転車のまま乗り入れてみたが、途中ソテツが低くて人生相談の幟がひっかかりそうになったり、行き止まりが階段だったりして、かえって苦労した。
つぎにハブセンター通過。お休み?なのか閉まっていた。
なんだかんだ観光したが、2時半に今日の宿泊予定地、プリンスビーチキャンプ場に到着。
みなさんはちゃんと、プ・リ・ン・ス、と読んだだろうか?王子様の意味のプリンスであり、ちょっとゲイっぽい外人歌手のプリンスである。最近見ないけど。
しかしヨッシーはなぜか、地図で見たとき、プリズンビーチ、と読んでしまった。それからずーっとプリズンビーチのまま来たのである。プリズン=刑務所、であるから、刑務所浜?そんな名前つけるわけないんだが、なんとなくそう読んでしまったからしかたない。
県道を走っているとき、車から声をかけてくれた水道局のおじさんが、テントがいくつか並んでるからすぐわかると言われていたのであるが、来てみてその意味がわかった。
一目で長期滞在者の物、とわかるテントが3つある。
う~ん、なんだか難民キャンプっぽい。だったらやっぱりプリズンビーチでいいんではないか?
真ん中のテントの男と少し話しする。彼で1年半ほど住んでいるらしい。来月いよいよ北海道目指してバイクで走りはじめると、遠い目をしてポツリポツリと話す。
ヨッシーはなんだか疲れ気味である。もうあんまり動きたくないし暑いし喉が渇いた。勝ってきたコーラで焼酎を割って飲みながらテントをゆるゆる建てる。
ちょっと休憩してからシャワールームに行く。水シャワーだが、ありがたい。気持ち良くなってからテントで寝転んで休憩。
夕方、福岡から来た定年ライダーと話す。日本100名山は登ってしまったので、こんどは100離島をめぐる旅をしているそうである。
見切り品の棚から20円でかったグレープフルーツを絞って、焼酎割りを作る。かなりうまい。晩御飯はキャンベルのチキンスープに紅芋とキャベツを入れたもの。ごはんと一緒に食べると、ドリア風になる。
ああ我が風(ふう)人生哉。
あー、サイゼリアでいいからドリア食べたい。
走行 34キロ 出費 1398円(弁当、缶詰、コーラ、チキンラーメン)