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久米島~那覇 [沖縄編]

2010年4月4日 日曜日 148日目 とうとうその日は来た。5時起床である。 そして初座禅。 和尚の隣に座り、長い目の線香が消えるまで約45分間の座禅である。電気を消して真っ暗な中で無の境地に入る。入れるのか?入れんてば。それでもじっとして、暗い中で自分の呼吸を数えていれば、気持ちは落ち着く。これが悟りというのか?違うのか?たぶん違う。きっと違う。 その後読経を30分して(聞いて)、朝のお勤めは終了した。朝ごはんは和尚特製の茄子と卵の炒め物をのせた丼。 残りの備品を片付け、7時半に愛車でフェリー乗り場まで坂道をピューッと下る。和尚は藤井さんが迎えに来てくれるのだ。みんな代わる代わる和尚のお世話を焼いて下さると、ご本人もおっしゃっていた。これも和尚の人柄か。先日は島の人からお葬式を頼まれたそうだが、人生初お葬式だったそうでドキドキしたと言っていた。でも本島から坊さんを呼ぶと交通費からかかるし高くつくから、和尚の存在はこれからも重要である。 港で切符3000円と自転車料金1050円払って船内に乗り込む。和尚とは船内で合流。テレビ前のいいとこに席とってた。 DSCF2326.jpgDSCF2327.jpg 天気は雨、風はそんなに強くないが、少し波がある。船もやや揺れているが、ヨッシーが酔うほどではない。紳介の法律の出来る行列相談所を見て過ごす。しかし紳介の番組はほぼトークショーで、クイズは付け足しになっておる。それでも面白いからいいのである。 寝て起きて、藤井さんが差し入れてくれたおにぎりを仲良く半分づつ食べる。藤井さんは気が利くなあ。あるいはヨッシーが気が利かなすぎるのか?たぶんそう。 ほぼ定刻どおり、12時半に那覇の泊港に到着。和尚はお友達が迎えに来られるとかで、再開を約して別れた。 さてヨッシーはどうするかというと、今日はいつもの豊崎の道の駅泊りなので夕方まで時間がある。そこで雨のやんでいるすきをみて、いつものジュンク堂まで走る。鬼平犯科帳である。 昼飯を食うのも忘れて読む。2時になって腹が減り、ジュンク堂むかいのオリオン食堂に入り、メガチャーハン650円を食う。量はメガだったが薄味であった。醤油とコーレーグース(唐辛子が入った透明の液体の辛いやつね)をかけ回して食う。 DSCF2328.jpgDSCF2329.jpg そのごジュンク堂。 5時半になったので、明るいうちに豊崎に向かう。6時になると弁当が半額になるのよね~。 道の駅で寝る準備をしていると雨が強くなり、本降りになった。しかし建物のひさしの下なので助かる。 蚊がブンブンやってくるので、蚊帳を張ってベンチの上で寝る。蚊帳の位置が低く、寝転ぶと顔の目の前が蚊帳の編み目になる。たまにやってくる蚊の羽音がうっとおしい。目を開けると蚊帳の外で蚊どもが網に向かって体当たりを繰り返しておる。生きるために必死であろうが、刺されるわけには参らぬ。 たまに風が強くなると、細かい雨の飛沫が飛んでくるがたいしたことないのでそのまま寝る。 走行 13キロ 出費 6027円 (フェリー代、チャーハン、半額弁当、発泡酒、泡盛)

久米島 興南優勝&紅芋掘り [沖縄編]

2010年4月3日 土曜日 147日目 8時に目覚める。やや二日酔い。やはり今日も朝のお勤めはできなかった。お家に入り、朝ごはんをいただく。 和尚は倉庫の仕上げ仕事に出かけたが、ヨッシーはもう眠くていかぬので、再度テントで睡眠。 10時におきたらすっきりしていた。それからゆるゆるとテントの片付けにかかる。あした和尚と一緒に那覇まで船で帰るのだが、8時半のフェリーだから今日のうちに荷物をまとめ、今夜は和尚の家で寝かせてもらうのだ。 曇っているが風があるので、テントの底やシート類も乾くだろう。ついでにせんたっ機にかけた昨日の作業衣類も乾かす。 ところで旅の日記とはまったく関係ないのだが、洗濯機のことを「せんたっき」、と打ち込んでもこの携帯端末はちゃんと洗濯機と変換するのである。洗濯機のことをせんたっきと言うのは、日本中の共通語であったか?まあちょっと気になったので。 お昼前には和尚も帰ってきた。昨夜は酩酊して風呂に入っていなかったので、シャワーさせてもらいテレビを見ながらお昼をいただく。塩揉みキャベツと冬瓜汁を菜に米をいただく。 12時半に春の選抜甲子園が始まり、興南高校と大垣日大の決勝が始まった。興南のピッチャー島袋は、立ち上がりが不安定で点を取られたが、味方打線がすぐに逆点する。 中略 ハーレーの藤井さんがやってきて、一緒に観戦する。 中略その2 延長の末興南が勝ち、沖縄代表が春の優勝校となった。たまたまヨッシーは沖縄に居合わせただけなのであるが、やはりまわりの沖縄のみなさんが熱く応援されているのもあって、一緒に興南の応援に加わっていた。だからやっぱりうれしかったのである。 それから和尚と藤井さん、ヨッシーの3人で紅芋掘りに出かける。和尚の知り合いのかたが植えた紅芋がまだ残っているから、畑に行って掘ったらいいさ~、といわれていたのである。 藤井さんの軽トラで3人乗りして近くの畑へ移動。 DSCF2317.jpg さっそくご老体お二人が鍬を奮って芋掘りにかかる。ヨッシーは掘り出された芋を集めて箱に入れ、軽トラまで運ぶ係を承る。 DSCF2318.jpg 後半お二人は結構な重労働に、ひいひい言いながら掘りすすんでいたが、ここはヨッシーが替わったりせずに最後まで掘ってもらおうと、余計な手出しはしなかった。 紅芋は段ボール3箱分になり、重さにすれば30kgくらいにはなっただろう。 それから和尚のバナナ畑に回る。バナナの苗木も捨てられかかっていたのをどこかからもらって、ただで借りている畑に植えたそうである。まだ小さいが、こんどヨッシーが久米島に帰ってくるころにはたわわに実が成っていることであろう。 DSCF2319.jpgDSCF2320.jpgDSCF2321.jpg 帰って芋をふかして、キャベツなどを肴にしてビールを飲んでいると、宮里さんご来訪。直後に敏行さんも来られて、図らずも4人での飲み会になる。 テレビで与謝野という国会議員が自民党を離れ、新党を結成すると言っている。新党には5人必要らしい。いまここには4人いるから、あと一人で結成できるぞ、とか言いながら。ビールはススム。 敏行さんがいると宮里さんはやや大人しい。年配に場をゆずってか、はたまた何か弱みがあるのか? しかし、二人とも同じくヨッシーに、また久米島にもどってきてねと、何回も声をかけて下さった。感謝。 奥さんが怖いから、と同じように言い残し、お二人が帰ったあと、今日はもう寝る。まだ9時だがなんだか疲れている。和尚特製の2段ベッドの上を使わせていただき、久々に布団で寝る。なんか変な感じ。 あっ、と言う間に夢の中。 走行 0キロ 出費 0円

久米島 一宿一飯の恩義&泡盛古酒 [沖縄編]

2010年4月2日 金曜日 146日目 夜半に雨と風。3時ごろ起きてテント内をチェックしたら、隅っこに水が溜まっていた。カップで掬い出してまた寝る。 5時起床は果たせず、7時に目覚める。お家に入るとすぐに朝ごはんが出る。やはり冬瓜汁である。 一宿一飯の恩義があるので、今日は和尚の作業を手伝う。大家さんのお家はフクザトさんという。ご主人は髭を生やした恰幅のいい人である。ここでは仮に、「(西田)敏行」、としておこう。 まずはタイル運び。倉庫内に多量に放置されているタイル類は、和尚がもらい受けることになっているので、ヨッシーが片付けて袋に入れ、和尚邸の裏庭に運ぶ。これが思ったより数が多く、なかなかてこずった。 DSCF2305.jpgDSCF2306.jpg DSCF2307.jpg タイルのあとは切り株。根を切って掘り起こし、取り除く作業である。根気よく掘り起こし、根を探して鍬やスコップで切り取っていく。曇り時々小雨の天気でも汗がぽたぽた落ちる。 DSCF2309.jpg やった!掘り起こすと気持ちいい! DSCF2312.jpg 和尚は倉庫の窓枠を作っている。 DSCF2308.jpgDSCF2310.jpgDSCF2311.jpg ここでお昼になり、敏行の奥さんが用意してくださったおいしいご飯をいただく。 興南高校の試合は雨で延期になった。明日なら作業が終了しているだろうから、ゆっくりテレビで観戦できるだろう。よしよし。 午後からは窓枠作りの手伝い。和尚が組み立てた枠に、ヨッシーが透明の波板を釘で打ち付けていく。久々の釘打ちだが昔の日曜大工の腕は健在で、仕事がどんどんはかどる。 DSCF2314.jpg それでも全部で4つあった窓枠を作り終わったのは、午後5時になっていた。なかなか働いた一日である。敏行さんが来て、今日はもう終わろうね~と、なんだかそわそわしている風である。 案内されるまま玄関前に行くと、そこはにわか居酒屋になっておる!お疲れさん会になだれ込む~。 DSCF2315.jpg 敏行さんもよくしゃべる人だが、関西人っぽくはないのでいらちではないし人の話しもちゃんと聞く。ずっと久米島育ちなので、いろんな島のことなど聞くことができきた。 なかでも記憶に残っているのは、敏行さんのお父さんはハブ取り名人だった昔話。取ってきたハブは生かしたままカゴに入れておき、マングースショーの人が買いに来るまでおいておくそうだ。いまは動物愛護かなにかでハブ対マングースは見られないが、当時はそういうハブ需要があった。 ハブは餌をやらんでも半年くらいは生きているそうだが、やっぱり痩せてくるらしい。ある日少年時代の敏行くんが家に帰って庭のハブカゴを見たら、痩せて細くなったやつがカゴの編み目を抜けて、外に出ていたのを見つけた。それを見て親父に、頼むからカゴの編み目をもっと細かくしてくれと、泣いて頼んだという話し。 昔話その2。親父ハブとキスをする、の巻。 ハブ取りに行った親父が、古い防空濠の中に腹ばいで歩復前進していたとき、向こうから驚いたハブが飛び出して来て、親父どのの下唇に噛み付いたという話し。幸い牙が貫通して、毒が体内に入らなかったから大事にはならなかったという。オッソロシー! そんなはなしを上機嫌でやりとりしながら、泡盛は2本目の久米仙古酒に突入。これが薄いピンク色でまろやかで美味しかった。 DSCF2316.jpg 宴は9時ごろまで続き、最後は作業の疲れもあったのか、ややグロッキー気味のヨッシーは、先においとましてテントで眠りに就きましたとさ。 走行 0キロ 出費 0円

お知らせ [番外]

過去日記の、 http://tabibito1.blog88.fc2.com/blog-entry-236.html に写真追加しました。

久米島 和尚の庭へ [沖縄編]

2010年4月1日 木曜日 145日目 小柳さん家の庭に引越の日である。天気は曇り気味。長らく住み着いたシンリ浜でテントを乾かしてから畳む。テント下の草が青白い。 そして三国志の最後の3巻を読み切らねばならん。パーラーでカレーを食いながら、やっと読破した。しかし達成感はあまりない。理由のひとつは、30巻目が本棚から抜けていて未読のままだから。どこかで見つけて、後追い読破せねばならん。 2時頃シンリ浜を離れ、久々荷物満載の愛車で小柳さんの家を目指す。距離はたいしたことないが、少し坂道がある。 小柳さんは前にも書いたが、建て売り住宅を売る工務店を経営していたこともあるので、大工さんみたいな仕事もできる。そしていまはお坊さんでもある。なのでこれからは和尚と呼ぼう。 うろ覚えの道をホタルドーム(シート外しのバイトをしたところ)からたどる。楽勝で行けると思っていたら、ちょっとだけ道に迷った。やはり人間磁石の勘も歳とともに鈍っておる。 和尚はお隣りのお家で倉庫を作る作業をしているので、まずは到着の挨拶をする。お隣りの家というのは、いま和尚が住んでいる家の大家さんで、ぼろぼろだったお家を和尚がリフォームして住むなら家賃はいらないといってくれた人である。 DSCF2303.jpg 挨拶後、裏庭にテントを張らせてもらい、せんたっ機を勝手に借りて洗濯する。なかなか手洗いできないパーカーやフリースを洗うと、水が真っ黒になってしまった。オソロシや。 DSCF2302.jpg 和尚も3時には本日の作業を終わり、お家に帰ってきた。倉庫の入口にコンクリートを打ったので、もう今日は作業できないからである。 さて、和尚のあとに温水シャワーを浴びさせてもらう。久々の温水に感動。何時以来かな? シャワー後にビール。和尚のところにはいろんな人が出入りする。みんな来る度にビールとかコーヒー豆とか持参で来て、残ったのを置いて行くのでビールが貯まっているそうだ。それはお困りだろうから、消費に一役買わんといかん。飲みながら、パソコンで名刺を作るやりかたがわからん、というので一緒に和尚の名刺を作る。 ほんでから手づくり冬瓜汁をご馳走になる。田舎に引っ越した人はほぼ同じように言うが、野菜なんかは近所の人がくれるから買わなくても手に入るのである。冬瓜も誰かが持ってきてくれたモノである。一度に沢山作ると、何日も同じものを食べないといけなくなるのは一人暮らしのつらいところだ。よし、じゃあお代わりしてあげようね~。 DSCF2304.jpg テレビを見ながら、冬瓜汁とご飯を食べているところに、宮里さんという和尚のお友達がやってきた。久米島出身だが、大阪で何十年と暮らしていたから、中身はバリバリの大阪人である。 どこが大阪人かというと、関西で言うところの「いらち」な性格丸出しなのである。よーしゃべるけど人の話しはあんまり聞いていない。でもはるばる関西からやってきたヨッシーと会えたことが相当にうれしいようで、何回も「もう帰らんと久米島に住みや」、と繰り返している。 嫁さんが怖いから、と言い残し宮里さんが帰ったあと、またパソコンに向かい和尚のブログも作ってあげた。 久米島座禅堂 という日記である。 そんなこんなで12時近くなったので、寝ることにする。和尚は毎朝5時に起きて座禅してから読経する。ヨッシーは起きれるかわからん。たぶん起きれんと思う。 裏庭テントで睡眠。 走行 6キロ 出費 450円 (カレー)

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