写真アップしました [番外]
お待たせしました。さっき、4月11日分の日記から16日分の途中まで写真を追加しました。
奄美はネット環境がイマイチで、なかなか苦労しております。
残りの写真はまた後日に!
諸鈍~俵 雨とカラス天狗 [九州編その2]
2010年4月23日 金曜日 167日目
曇り空。雨予報だが、雲には切れ間もあるし、降ってもたいしたことないと高をくくって出発。
諸鈍から秋徳(あきとく)方面に向かって坂道を登る。そろそろなんとなくカケロマがわかってきた。どの村々に行くにも、必ず山越え峠越えをしないと行けないことになっているようだ。それは海岸沿いの道でも同じで、きっちり標高で100mとか150mとか上がってから下る。
そういう島だからか、出会った人ごとに自転車旅を驚いてくれる。
そうして秋徳に向かう坂道で出会った花田さんと徳田さんも、驚いてくれた。二人は道路脇の草刈り作業中で、そこで立ち止まって少しお話する。花田さんは大阪からの移住組で、嘉入(かにゅう)という集落に住んでるからぜひ寄ってお茶でも飲んで行ってくださいと言って下さる。
2人と別れて秋徳の集落に入り、花田さんに教えられたとおり三差路を右に走って小学校の脇を抜ける。さっきから降り始めた雨が、やや本降りになってくるが山の中なので雨宿りのしようがない。
古い神社の横を通るとき、雅楽のようなメロディーの笛の音が聞こえた。誰かいるのか?仙人みたいな人がいるのであろうか。
登りがきつくなり、ジグザグに道路を走って漕ぎつづける。雨で湿った道路脇の苔の上で、前輪を滑らせてこけてしまった。
登りなのでスピードは出ていなかったからダメージは小さいが、それでも左膝を地面にぶつけてしまう。左手の平をついてかばったので、そこも痣のようになっている。自転車は無事。
旅に出て初めての転倒。記念に1枚。
雨で滑る上、坂が急になってきたので押して歩く。歩きながら、やっぱ今日は出発しないで諸鈍でもう一日停滞していたらよかった、とか考える。
雨が大粒になったが避難するところがない。やっと見つけた道路外の山のそばに生えた木の下で休憩。
すでに服はびしょ濡れなので、カッパを着ても意味がない。このままでもいいだろう。自転車のバッグにカバーをかけて、大事なものが入ったフロントバッグは、ゴミ袋をかけて防水する。
3つの「あ」、の原則違反である。「雨の日は走らない」。それは風邪をひいたりアクシデントに遭い易いから定めた決まりごとだが、案の定転倒してしまった。
山の中からまた、笛の音が聞こえる。さっきの神社からもうかなり離れているのに同じ音色である。誰が吹いているのか姿が見えない。ずっとついて来たのか?後ろから誰かが来ていた気配はなかったから、道路を通らずに山の中を渡ってきたのか?
カラス天狗がいるのかもしれん。カケロマの山の中にはカラス天狗が住んでいるに違いない。
小雨になったのを見計らってまた自転車を押す。きっちり200mほど登って峠越えし、佐知克(さちゆき)の集落に下りる。小さな村を5秒で通り過ぎるとまた登り返しの始まりである。
勢里(せり)、於斉(おさい)と、登りくだりを繰り返す。島の西側の道をたどってきたが、米や缶詰が少なくなって来ているので、ここは一旦島の東側に出て、瀬相(せそう)というフェリー乗り場のある港町に出る。於斉からここは、トンネルがあって楽できた。
瀬相は思ったより小さな集落で、これなら諸鈍のほうが大きいくらいである。昼になったので、目に留まった黄色いプレハブ小屋の食堂に入る。
中は温かく、ヨッシーの濡れた衣服から蒸気があがる。親子丼450円をお願いする。
大阪暮らしが長かったという大将の味付けは、関西風味の甘目な感じで懐かしかった。くも膜下出血と動脈瑠破裂で倒れ、命は助かったが足が不自由になってカケロマに帰ってきたと話してくれた。先日、巨人の木村コーチが練習中に倒れて、残念ながらお亡くなりになったのも、くも膜下だったとおもう。よく死ななかったものである。
このお店は昨年の皆既日食の日に合わせてオープンさせたと、当時の写真などを見せてくれた。
腹が満ちたらつぎは買い出しである。すぐそばの商店に入る。ここにはお弁当が売っていたので、晩御飯用に買っておく。あとはパンや缶詰を手に入れた。米は5キロ入りしかないからあきらめた。
さっきまで小雨だったのが、また降り始めた。港のフェリー待合所に入って雨宿りする。テレビがついていて、暇つぶしにちょうどいい。濡れた恰好で寒いので、上からカッパを着て暖かくする。
今日はここで泊まるか、もう少し先まで進むか、逡巡して2時になった。まだ雨はやまない。手元の観光地図によると、次の俵(ひょう)という集落には公衆トイレがある。そのあたりで公民館などあればいいと、意を決して出発する。
距離はそんなにないのと、ここにもトンネルがあったので難無く到着。水浸しになったゲートボール場の横に。公衆トイレのついたコンクリートの建物があり、「俵レストハウス」、と書かれている。ありがたい。自転車のまま休憩所の中に入ると、地元の中学生達3人が、カード対戦?ゲームをしている。
ここで着替えてしまい、やっと暖かくなった。雨はもう本降りで、ちょっと止みそうがないので今日はここ泊まりに決める。
ラジオは電波が入らない。携帯も入らないので、情報がなんにもない。
夕方頃、またカラス天狗の笛の音が聞こえる。姿は見えない。
遊んでいた子供達が帰ってから、レストハウス内にテントを立てる。晩御飯はさっきの弁当とチキンラーメン。
気温が下がってかなり寒い。もう寝袋に入って休む。
走行 21キロ 出費 1272円 (親子丼、パン、弁当、ベビースターラーメン、発泡酒)
諸鈍 ウェル亀 [九州編その2]
2010年4月22日 木曜日 166日目
7時起床。曇り空。チキンラーメンの朝ごはん。
ラジオの調子が悪い。たまに音が途切れるので、ポンポンとたたいて直す。一度分解して組み立てたことがあるので、また修理しないといかん。しかし小さなドライバーがない。しばらくはたたいて直すしかないだろうなあ。
今日は休息日なので、テントにもぐりこんで二度寝する。なんて二度寝は気持ちいいんだろうか。寝ていると時間も立つし、最強の時間潰し方法である。ビバ!二度寝。
11時半に起きて、近くのタコ焼き屋に昼ご飯を食べに出る。うどん定食500円也。
店の親父が海亀が海岸に来て交尾してるよ、と教えてくれた。野性の海亀だけでも必見なのに、さらに交尾中とは!うどん定食を食べてる途中だったが、あわてて店の前の海岸に出て海を見る。
海亀は陸には上がらず、海にプカプカ浮いたまま雄が雌に乗っかって交尾する。波間に漂いながら、何時間もそうしていると、親父が教えてくれた。たまたま店で同席した、千葉からきたという旅の人といっしょに亀を見る。この人、前の会社の元上司に似ている。なので仮に名前をコデキさんパート2としておく。パート1は那覇のゲストハウスで会った人なのだ。
コデキさん2は折りたたみの小さな自転車を持って、飛行機で奄美まで来たという。今日はカケロマを散策するため、バスとフェリーを乗り継いで来ている。ワンタッチでパタンと折り畳める、今ではホームセンターでも売っているタイプの自転車なので、簡単にバスにも載せることができる。ヨッシーみたいに網野子峠を汗みずくで越えてきたりはしないのである。
写真を撮ったり双眼鏡でながめたりしていたら、亀達が風と波で海岸に打ち上げられてしまった。
それを見た島の人達も、珍しい光景であったと見えて、波打際に駆け寄って携帯で亀を撮っている。
亀には迷惑千万だろう。ヨッシーも近づいて写真を撮ったが、雄亀は心なしか恥ずかしそうにしている風に見えた。あまりにみんなが大挙して近づいたので、さすがに雄はたまらず雌から離れ、沖に向かって泳いで行ってしまった。雌もあとからそれを追う。
コデキさん2と別れ、一人でデイゴの並木道をチャリで走ってみる。かなりの大木が多く、それぞれ個性的な形に育っているのが面白かった。ここは寅さんのロケ地でもある。諸鈍には、リリー(朝丘ルリ子)の家がある設定である。
キャンプにもどって、あずまやで自転車の整備。そろそろチェーンも交換時期だろうか。鹿児島までは持ってほしい。奄美大島もカケロマも坂道が多いので、ブレーキパッドの減りも早い気がする。
3時半になったので、昨日の商店で発泡酒を買って、一人乾杯しながら晩御飯の準備する。
本日は鯖カレーに挑戦。鯖の缶詰でカレーを作ってみた。
うまくも無いしまずくもない。缶詰で作ったところがイマイチの原因か?今後も研究を重ね、幻の逸品に仕上げたい。
お米があと少ししかない。8時にラジオを切って寝る。明日は雨模様だと言っていた。出発できるだろうか。
走行 2キロ 出費 670円 (うどん定食、発泡酒)
住用~諸鈍(加計呂麻島) 坂道の日 [九州編その2]
2010年4月21日 水曜日 165日目
昨夜はモンタ&タツニイはそれぞれの車で眠り、ヨッシーが和室を独占した。玄関は開けっ放しなので虫がすごい。蚊帳を吊して難を逃れた。おかげで久々に畳の上で眠れ、快適な夜であった。
6時過ぎに目覚め、7時には撤収して自転車も表にだした。朝刊がすでに届いているので、勝手に広げて読ませていただく。
モンタ&タツニイも起き出して来て、また和室でなんだかんだ話しする。
今日の分のおにぎりは前日にちゃんと予約しておいたので、9時半に3つ受けとったらさっさと走り出す。モンタさんもタツニイも、このあと鹿児島などに渡る予定だからまたどこかで会えるかもしれない。
国道58号線である。これは沖縄から海を飛んで奄美大島につながっているのである。実際に道が空を飛んでいるのではなくて、沖縄の北端、辺戸岬の奥集落で一旦途切れた58号は、奄美の古仁屋から再び始まって島を突き抜け、その次は種子島に飛んでいる。
さて今日の難所は、網野子峠(あみのことうげ)だ。標高360mまで登らないと、古仁屋の港まで行き着けない。天気は晴れ。気温はどんどん上がり、暑くなるだろう。
覚悟して登りはじめたが、行けども行けども坂道は終わらない。新聞の記事を読んでくれたのだろうか?今日は行き交う車から手を降る人がいたり、ダンプが挨拶のホーンを鳴らしてくれたりする。
峠まで2時間の登り。かなり足にきている。右ひざが少し痛い。昨日一日休んでおいて良かった。
一気に15分で坂を下り切り、古仁屋の町に入る。惣菜屋でコロッケを買い、100円おにぎりセットと共に公園でいただく。観光地図で銭湯を見つけていたので捜し当て、久々の入浴だ。1時に開店でよかった。
360円。また加計呂麻島から帰ったら入りたいものである。しかし風呂から上がるとヨッシーはもうあまり力が残っていないことに気がつく。もうとっととテントを張ってしまいたいところである。
フェリー乗り場で時間を見ると、3時25分に生間(いけんま)行きの最終がある。まだ1時間ほど時間があるので、まずは携帯でブログ更新。道の駅で書きだめしておいたのを一気に流す。
ほっとして前を見たら、タツニイがフェリーの時間を見ているではないか。さっそく再会。タツニイは明日加計呂麻に渡るつもりらしく、その下見である。
乗り場の2階に、寅さん展示コーナーがあるのでタツニイと覗いてみる。加計呂麻島は、寅さんシリーズのロケ地であり、当時の小道具や台本などが展示してあった。
そこでタツニイと別れ、近くのAコープに買い出しに行く。島に渡るとろくな商店などないだろう。
コープから波止場への帰り、交番前にいたおまわりさんが敬礼しながら、「ヨッシー松田さんですね!」、と声をかけてきた。新聞効果である。有名になるのはつらいなあ。悪いことできないし。
交番で自転車空気入れを借りる。探し出してきてくれた年代物は、ホースの根本が折れていて空気が洩れる。押さえる係りとポンプを押す係りの2名が必要なんですわ、とおまわりさんは笑う。
ハブがそろそろ出てますから気をつけてください。やぶに入るときは棒で叩きながらはいらんと危ないですよ、と親切に教えてくれた。
3時25分のフェリーで加計呂麻に渡る。20分しかかからないからたいした距離ではない、自転車と人で390円であった。
生間(いけんま)の港には商店も酒屋もなにもなかった。しかたなく今夜の寝場所探しに走る。この島は情報があまりないのでいきあたりばったりである。港から左に取り、海岸沿いに進む。砂浜はどれも小さく、キャンプ適地ではない。どんどんいくと安脚場(あんきゃば)という行き止まりの集落に行き着いた。このさきには公園があって、旧日本軍の砲台跡があるらしい。そこまで行けばトイレもあるのだが、目の前にはまたしても坂道が・・・・。ここにくるまでにも、3回くらいのぼったりおりたりを繰り返したので、もうヘロヘロである。
港にもどる決断をする。力を振り絞って港にもどるが、ここにも適当な場所がない。そのまま休憩を兼ねて、放心状態に入る。
中略
はっと意識をとりもどしたら、もうすぐ暗くなる時間になっている。立て看板の観光地図を見ると、島の反対側までは1・5キロくらいで、そこには公園もトイレもあるとかいてある。最後の山越えのつもりで走り出す。
はあはあ。
はあはあはあ。
坂は思ったより早く終わり、下り切ったところに開けた感じの集落があった。地獄に仏っぽい。諸鈍(しょどん)という村で、公園にはあずまやもありトイレもきれいである。おばちゃんに聞くとすぐそばに売店もある。
極楽である。
調子に乗って発泡酒を2本も買ってしまう。
あずまやの下にテントを張って、100円おにぎりとAコープで買ったさんまフライで晩御飯。
あ~疲れた一日である。結局また40キロ以上も走ってしまった。明日はまた静養の日にするべし。そうするべし。
走行 44キロ 出費 2025円 (おにぎり、コロッケ、コーラ、銭湯、メンチカツ、串かつ、さんまフライ、発泡酒)
サン奄美~住用道の駅 [九州編その2]
2010年4月20日 火曜日 164日目
6時に目が覚める。一晩中降ったりやんだりだったが、屋根の下なので安眠できた。施設が開く前に立ち去るため、急いで撤収。
サン奄美でトイレしようと頑張ったが、便意は頂点に達し、しかたなくガードレールにつかまりながら川のほうにお尻を突き出して放出。か・い・か・ん!
お食事中のお方には申し訳ありませんでした。旅してるといいかっこばっかりでは済まないこともあるので、包み隠さずお届けしておりやす。
サン奄美でパンツを洗い、あたらしいのに履きかえてからやっとこさ今日の出発と相成る。
天気は曇り。とにかくまずは昨日辿り着けなかった道の駅、住用(すみよう)まで行ってしまおう。たいした距離ではない。
昨日忘れ物で不本意にも往復した三太郎トンネルをまたしてもくぐる。
あとは下り坂をシャーと下りれば、住用の集落である。道の駅には8時に到着できた。
徳之島以来、結構毎日走っていて疲れが溜まっているようだ。上りでペダルに力を入れると、いつもよりだるい感じがして進まない。右膝もちょっと痛くなっているので、本日は休憩の日に決定。
見たところ道の駅の施設は充実していて、畳の休憩所まである。道の駅の施設は、マングローブパークといって、カヌーを使ってマングローブ観光をさせたり、グランドゴルフもできる。トイレは綺麗だし、レストランも併設されている。
建物前の階段で、見たことある人と行き会った。たしか徳之島の闘牛場に向かう道ですれ違い、一言二言かわした大阪のナンバープレートがついたワゴン車のおじさんである。みかけから、仮にモンタさん、と読んでおこう。
モンタさんはこの道の駅を拠点に、奄美のあちこちを走っているそうである。聞けば沖縄から与論島、沖之永良部島、徳之島を経由して、奄美に来ている、旅人である。
ここのレストランで、100円のおにぎりセットがあることも教えてくれた。おにぎりが二個、卵焼きと佃煮が入って100円とは激安である。しかもこの道の駅は夜もロビーを開放していて、畳の休憩室も使い放題であるらしい。ブラボー!!
もしかしかしたらここは居心地日本一の道の駅かもしれん。日本一なら世界一でもある。
ロビーの新聞をみてブッタマこいた。奄美新聞にヨッシーの記事が載っているではないかー。昨日の今日でもう掲載とはすごくない?
うれしさを隠せず、道の駅スタッフの女の子に見せにいった。
9時半になり、レストランがオープンしたので、さっき聞いた100円おにぎりを買いに行く。思い切って3つ購入。
これで朝・昼・夜と心配はなくなった。さっそく畳の休憩室で朝ごはん分を食べながら、日記を書く。残念ながら昨夜の場所もここもウィルコムは入らない。たぶんこの先の古仁屋(こにや)なら入るだろうから、今のうちにかいておいて、あとで一斉に更新する。
昼は昼の分のおにぎりを食う。
奄美新聞の油井さんに言われたとおり、こっちがわ(住用から古仁屋方面)は蒸し暑く感じる。
2時に住用の集落まで少し戻り、酒屋か売店を探すが見つからない。たまたまであった女性に聞いたら、かなり戻るか進かしないとお店はないようである。その女性もブログをやっているらしく、写真を撮られた。お返しに撮ってあげたら、恥ずかしいからと身をよじった瞬間がこれだ!
なんの成果も無く道の駅にもどる。朝出かけたモンタさんが戻っている。駅を中心に、西側をぐるりとまわって観光して来たそうである。晩御飯はコンビニ弁当を買ってきたそうなので、ヨッシーは一人ですぐそばの食堂に行く。
さっき見たら、窓に大きく「定食オール500円」、と書いてあった。
よってみ亭、ですと。ヨッシーの実家近くには、かよっ亭という居酒屋がある。姉妹店だろうか?ヨッシーはかよっ亭には通っていないので、判別不明である。
入店して店主におすすめを聞くと、お腹がいっぱいになるならミックスフライ定食だ、と言われそれを注文する。ヨッシーを一目見ただけで、お腹いっぱいに食べたそうだな!と見破るとは店主なかなかヤル。
こう言っては失礼かもしれないが、離島の山の中にしては美味しかった。フライものは冷凍が多いし、たぶんここもそうだろうが、それでもなかなか美味しかった。
しかしいまのヨッシーにとっては、なんでもうまく感じるだろうから、この感想は8割引くらいで聞いてほしい。
道の駅にもどると、犬連れの水戸ナンバー旅人に遭遇。実はこの人、朝一瞬見かけたのだが、すぐに出かけてしまったので話すのは初めてである。
60過ぎのおじさんで、老犬といっしょに軽のワンボックスで旅している。見かけから、仮に名前をタツニイとしておこう。
6時でマングローブパークは営業を終了する。
そのあとは旅人の天下だ。自転車もロビーの中に入れちゃう。和室も独占である。
しばらくすると、モンタ&タツニイが和室に合流して、旅の話しや過去の女の話しで盛り上がる。といっても女の話しを披露するのはタツニイだけであるが。
タツニイは本名桝谷(ますや)さんといい、茨城で長年不動産の仕事をしてきたそうで、どろどろした世界で神経がおかしくなったので、一旦やめて旅に出た。
モンタさんは本名宇戸(うと)さんといい、大阪は泉州のほうで、役所勤めしてきた。ずっと独身で、数年前に最後の肉親である母親を亡くしたとき、もう縛られる必要が何もなくなったことをきっかけに、退職した。いまは終いの棲み家になる場所を探す旅をしているそうである。
個性派揃いに囲まれて、ヨッシーたじたじである。しかし、この日は夜中まで語らい、とっても楽しい一時でありました。
走行 13キロ 出費 1000円 (缶コーヒー、おにぎり、フライ定食、コーラ)
奄美大島・名瀬~住用 [九州編その2]
2010年4月19日 月曜日 163日目
奄美大島での初めての朝。ラジオ体操の皆様が三々五々集まって来られる。ヨッシーも6時には起きて、テントを畳んでからいっしょに体操する。
すぐそばのコンビニに移動。ハンバーガーとコーヒー牛乳の朝ごはんをしながら、地図を見て旅のルートを研究。それから携帯で日記を書いて更新する。メール送信で日記が更新できるしくみだが、最初に送った日付のが載らず、つぎに送ったのだけ載っている。
こういうことが続いているのは何が原因だろうか?すぐに気がついて、コンビニ前で改めて投稿し直す。
9時にダイエーに行って買い物。ほんとはお米が欲しかったが、1キロのは置いてなくて2キロの袋しかない。
名瀬の市街を走っていると、奄美新聞社の看板が上がったビルを発見!さっそく飛び込みで取材依頼に伺う。
受付で名乗ると応接に通され、報道部の女性記者が来てくれた。
記者の油井さんも島の出身で、長らく鹿児島などで暮らしたあと、いまは島にもどって仕事をされている。
旅の主旨や、きっかけ、装備、計画、沖縄での体験などを1時間近く時間をさいて、丁寧に聞いて下さった。油井さんの田舎は加計呂麻島だそうで、ぜひいいところだから行ってくださいと言われたら、行かねばなるまいて。
本社前で写真をパチリ。それから国道58号で加計呂麻方面に走る。少し雨模様だが、今日はあんまり遠くまで走るつもりはない。とにかく徳之島では想定外の峠越えなんかもあって疲れ気味であったから、いいとこがあったらすぐ泊まるつもりである。
山の中では食べるものもないであろうと、街中のホットモットでから揚げ弁当300円也を買っておく。
すぐにトンネルに入る。久々のトンネルである。沖縄はトンネルなかったからな~。雨が大粒になる前にトンネル滑り込みセーフ。
しかし出口にいったら雨は強くなっている。そのまま出口付近で雨宿り兼弁当。1時間たったらほぼやみかけたので出発。この先にも大きなトンネルが2つもある。
2つめの新和瀬トンネルも順調に越え、海沿いのサン奄美という特産品販売店で休憩する。店内に入るなり店番のおばさんに、あれ!なにかに載ってた人ですよね~?と言われる。
いや新聞取材受けたのは今さっきだから、なんぼなんでもまだ記事にはなってないと思うが?おそらくおばさんの勘違い。
雨が降り出しそのまま雨宿り。また1時間したら走れそうなので、3つめのトンネルに向かう。これを越えたところに道の駅がある。今日はそこまで行こうと思っていた。
三太郎トンネルを抜け、出口で止まったときに忘れ物に気づく。便利に使っている手ぬぐいをサン奄美に置いてきたようだ。忘れ物といえば那覇での最後の飲み会のとき、帽子をなくしてしまった。たぶん一軒目のあまいかか、その次の栄町のスナックだとは思うが、無くなっているのに気がついたときはもう本部にいた。無くなると不便さがよくわかる。雨のときに帽子のひさしが、メガネにかかる水滴を防いでくれるのである。
ともかくもどることにする。距離もそうだが、坂道もそれなりに越えてきたので、やれやれである。
手ぬぐいはサン奄美にあった。安心したと同時に、雨が強くなった。またここから動けない。
こんどはかなり降り続く。あまりにひまだから、屋根から下がっている鎖を伝わる雨水を写真に撮ってみる。
鎖のまわりはまるで水の棒みたいになっているのが、不思議に見える。
しかし雨はやまない。5時になり、道の駅行きは断念。ちょうどサン奄美の向こう側に見える、スポーツ施設のほうに移動。コンクリートの屋根下にテントを張って休ませてもらう。
晩御飯はめんどくさいから人参とキャベツ入りチキンラーメンじゃっ!
ラジオも携帯も入らず、8時に寝る。雨音がうるさい。
走行 26キロ 出費 1284円 (ハンバーガー、コーヒー牛乳、缶詰、コロッケ、ソーセージ、パン、弁当、缶コーヒー)
プリズンビーチ~亀徳・一万人集会~平土野~奄美大島 [九州編その2]
2010年4月18日 日曜日 162日目
またしても寒い夜だったが、すごい星空であった。天の川を久々に見た。最後に見たのは7~8年前、和歌山県の山中であったと思う。
11時に亀津漁港で、基地反対一万人集会がある。ヨッシーは部外者ではあるが、やっぱ参加して見ておきたい。プリズンビーチから亀津までは20数キロあるから、早めに出なければ。
あわてて準備して、8時出発。県道629は花徳(はなとく)の集落で県道80号に合流する。思ったよりアップダウンが少なく、軽快に進める。
井之川集落は、横綱朝潮関の出身地であった。むかしの稽古場のあとと、銅像を見学。
山を背負った良い位置に、朝潮関の銅像が建っている。えっと、朝潮ってこんな感じのお相撲さんだっけか?
さあ亀徳までもう少しだ。その手前で、富山丸慰霊碑を見に行かんとならん。それは実は、犬田布岬であった関西弁オッサン3人組の一人が、「あれはワシが建てたんや。見に行ってや、見に行ってや」、と念を押されていたからであるが、「ワシ」がホントに建てたかどうか、怪しく思えるほど軽々しい感じの人であった。
早出した甲斐あって、亀徳に10時過ぎに着く。コンビニで、飲みたくてたまらなかったオレンジジュースを買って休憩。イートインスペースに居合わせた女子中学生が、赤い流星号のナンバープレートを携帯で撮っている。QRコードを読みたかったようだが失敗したというので、名刺をあげた。
11時ちょうどに亀津漁港に行く。場所はよく知らなかったが、みんな同じ方角に歩いているのですぐわかった。
ヘリコプターが2機、飛行機が1機飛んでいる。港にはすでに大勢の人が集まっている。テレビの中継車も何台か来ていて、すごいことになっている。
1万人を越えたところで集会が開始される。青年団代表、保健衛生主婦?代表、漁業団体代表、農業団体代表、子育て中母親代表などが順番に基地反対の声明を発表していく。
老人会代表の声が一番大きくて元気があった。入れ歯が飛ぶんではないか?と思うくらい覇気があった。ご本人が入れ歯かどうかはヨッシーは知らんが。
感想。
盛り上がってはいるが、ちょっと危うい感じも受ける。勢いがあるうちはいいが、それが陰ってしまったときに盛り返せるなにかがまだ足りないような感じを受けた。闘牛好きな徳之島人の血が、カーッとなりやすく冷めやすいものでないことを祈る。
沖縄でも辺野古、伊江島、勝連などの反対運動を見たり聞いたりしてきたが、どこも、「こっちには来ないで!」、という主旨の反対である。それはそれでいいのだが、もっと視点を変えて、日本にとっては米軍基地がホントに必要なのか?米軍には日本の基地がホントに必要なのか?そして思いやり予算は必要なの?というところをはっきりさせようという声がもっとあってもいいのではないかと思う。そのためには、各地の反対運動の連携ができたりすればいいし、一番大事だと思うのは、本土にいる国民が、基地問題は対岸の火事的な日和見をやめることだと思う。
国は政治家が動かすんではなくて、国民が動かすべきちゃうんかい!なにかといえば選挙で国民の意志を伝える、とか、今度の参院選挙で結果が出る、とか言う。
国民の意志表現方法は選挙しかないんかい?!昔から直訴、とか百姓一揆、とか非常手段があったやんか。ぬるいこと言ってないで、いまこそ基地問題を契機にして一人一人がなにかするときやと思うけどなあ。
まずはヨッシーの行動としては、一万人集会に出て、思った、ということである。
さて、基地問題はこれくらいにして、ヨッシー的には洗濯問題を解決しにコインランドリーに行く。
せんたっ機が動いている間に、ランドリー内のテーブルでのり弁を食う。ああ我がのり弁人生哉。
表に出たら、4人の女子高生が自転車を囲んでいる。自転車の旅に興味あるか?と聞くと、いっしょに行きたい~!という。おお、なかなかオッサンの喜びそうなツボを知っとるやないか。
基地には反対ですか?と聞くと、全員反対。理由は、米兵がきたら治安が乱れる等。
でも基地がきたらお金が落ちるから、それに期待して賛成の人もいるんじゃない?と更に聞くと、そういう人もいるとは思うけど、最後は反対の人が勝つ!と言い切った。
記念に写真を一枚。
乾燥機を使うのがもったいないし、今日はいい天気なので洗ったものを持って、初日に泊まったゲートボール場のある公園に行く。木にロープを張って乾していると、通り掛かった不思議なおじさんに話し掛けられた。
何人?と思う日本人離れした顔立ちで、話す日本語もちょっと危うい。しかし島生まれであるし、名前も作山さんという。
作山さんからカンパを1000円いただき、立ち話する。豊中におじさんがいるとかで、関西の地理もよく知っている。政治のこととか旅のこととか話していると、家にかえって焼酎とって来ると言う。自分は飲まないので、もらってくださいと言われてありがたくいただいたが、
これはどう見ても、どちら様かのお家の新築祝いに配ったもの。何のゆかりもないヨッシーがいただいてしまっても良いのだろうか?良いのである!感謝。
作山さんは車からギターを出して来て、軽やかに歌ってくれたのは、アリスやバンバンのいちご白書とか、ヨッシーと同年代の歌ばかり。鑑定のため生年月日を聞いたら、同い年ではないか!心相数は821。ヨッシーの親友に821が3人もいる。縁のある数字の人であった。
作山さんと別れ、本日亀徳港から出るフェリーの確認に立ち寄ったら、いままでの幸せな一日を揺るがす一大事が起こっていた。港の案内に、本日強風のためフェリーは平土野港への入港に変更されました、と書いてある。
いま2時半。平土野入港が4時半。2時間しかない。平土野は亀徳とは島の反対側で、山越えの上に距離も20数キロある。あほかー!ぎりぎり間に合うかどうかやないかー。これを逃すと奄美行きはまた明日になる。
5秒迷ったが、走ることに決定。山越えがある場合の平均時速が10キロだから、ぎりぎりである。しかも乗り損ねたら、明日の船は今の所亀徳入港なので、また走って戻らねばならん。かなりリスク高い。やるっきゃない(by掘ちえみ?土井たか子?)。
お昼頃には、今日は楽勝やなあ~と思っていたのに。また走るとは。
花徳までもどる。もうほとんどプリズンビーチ近くやないか!まるまる来た道もどっとるぞ!
花徳から県道80号は山越えルート突入。あと8キロの看板。ここで3時半である。あと1時間。
一直線の道路は、滑り台のように真っすぐ空に向かって続いている。右ひざが少し痛むので、急ぎつつも無理しないように気を使う。
追い越していったマイクロバスの窓に、「平土野行きシャトルバス」と紙に書いて張ってある。うそー、案内のおばちゃんバスがあるなんて一言もいわんかったやんかー。あほーーーー。
しかし、バスに自転車は乗らんかったから、やっぱ走るしかなかったか、と自分を慰める。
思ったより坂道は少なく、下りになったら一気に平土野まで走り切る。4時10分到着。港は人と車でごったがえしている。テレビの中継車や、一万人集会に参加した奄美からの団体さんなどだった。
4時半に無事フェリーに乗り込む。ホッとしてシャワー。暖かいお湯が気持ち良い。もう一生フェリーに乗っていたいくらい心地良い。
ビール飲みながらハンバーグ定食820円を、作山さんからのカンパでいただく。めちゃウマ。昨日から夢にハンバーグが出てきて食べたかったのよね~。
奄美大島の名瀬港まで4時間の船旅である。船室で横になると眠ってしまった。
つぎに起きたらもう名瀬である。あ~もっと乗っていたい~。長野くんにメールしたら、なんとこの船に乗って鹿児島に旅立つということで、いま波止場にいる。
車両甲板から流星号でびゃーんと港に下り降りたら、目の前で長野くんが手を振っていた。ちょっと間の会話で、奄美のことや徳之島でのことなど情報交換した。
船は鹿児島目指して出て行き、ヨッシーは夜の名瀬を走って長野くんに聞いた公園に行く。港そばの公園で、トイレも芝生もある。ヨッシーは少し小高いところにある展望台にテントを張って眠る。
あ~、疲れた。
走行 56キロ 出費 6061円 (オレジュー、弁当、コインランドリー、発泡酒、ハンバーグ定食、フェリー代)
犬の門蓋~プリズンビーチ [九州編その2]
2010年4月17日 土曜日 161日目
晴れてるが寒い寒い夜であった。6時半に目が覚める。
いちおうくじらを見張るが現れず。8時半に出発する。
平土野港経由で空港に向かう。空港に用事があるわけではないが、行けばちょっと都会的な雰囲気を味わえるから。それと飛行機を眺めるのだ。
途中、西郷隆盛が島流しされたとき、上陸した場所としての記念碑を発見。
名が西郷南洲翁となっているが、当時まだ36歳だった。その若さで翁とはいかがなものか。それならヨッシーはダブル翁くらいなものである。
記念碑を読むと、西郷さんがこの地で暮らしたのは93日間だったそうである。その短期間の間に島の人になじみ、若者達に教育をほどこし、薩摩の役人達の非道を諌めたりして大人気ものになっている。それであるゆえにこのような碑が建てられているのであろう。
空港で飛行機観察。飛んで来るのがプロペラ機なのがかえってうれしい。
離陸の瞬間を撮ろうとしたら、失敗して金網にピントが合ってしまった。
駐車場でタクシーのおじさんと話しする。西郷さんの住んでた家が残っているというので、教えられて行ってみる。
住居跡?のような石碑はあったが家はないみたい。石碑の横に、当時西郷さんが若者達との力競べに使ったという玉石が置いてあった。一個持ち上げてみたが、とても上がらない。無理したら腰が壊れそうなのでやめておく。
碑文に、「島妻、愛加那との再会と涙の別れ」、とある。なんと西郷さんは島にも奥さんがいたとは。たった3ヶ月間の間に、である。偉人は何事につけても行動が早いものである。おそるべし、西郷どん。
県道629にもどり、島の北を目指す。ここで尚子ロードの碑を発見。
尚子といえばマラソンの高橋尚子である。徳之島で練習していたことから、記念碑が建てられたそうである。
座右の銘として、
何も咲かない寒い日は 下へ下へと根を伸ばせ
やがて大きな花が咲く
とある。
もうヨッシーくらい根を伸ばしまくっていたら、そうとう大きな花がそろそろ咲いてもいいんではないだろうか?いかがなものか?
さて、灯台ハケーーン!
与名間崎灯台。先日の灯台同様、そんなに大きくない。お決まりで記念撮影。
これで徳之島の全灯台制覇である。灯台ハンターのノルマ達成。
県道沿いにあったJAで弁当買う。なんだか近所のおばあ達が大挙してやってきている。卵だか洗剤だかが安くなってるのが目当てのようだが、めいめい勝手にレジにやってきては並ぶ順番もなにもなく、カウンターの上に品物をばらばらと置いて行くものだから、他人のものと混ざってしまい計算のおねいさんが困っている。
「はーいみんなカゴに品物入れましょうね~」、と言っているが、おばあに聞く耳無し。しかしなんだかほほえましい光景であり、急ぐ旅でもないヨッシーは、ずっと観察していたのである。
ムシロ瀬に立ち寄る。
島には珍しい花崗岩の岩が連なる海岸であり、その形がムシロをたくさん敷き詰めたように見えることから名が付いた。
ヨッシーもムシロのひとつに腰をおろしてのり弁を食う。
次は金見崎のソテツトンネル。小道の両側に植えられたソテツが、トンネルのように続く観光地。ヨッシーは果敢に自転車のまま乗り入れてみたが、途中ソテツが低くて人生相談の幟がひっかかりそうになったり、行き止まりが階段だったりして、かえって苦労した。
つぎにハブセンター通過。お休み?なのか閉まっていた。
なんだかんだ観光したが、2時半に今日の宿泊予定地、プリンスビーチキャンプ場に到着。
みなさんはちゃんと、プ・リ・ン・ス、と読んだだろうか?王子様の意味のプリンスであり、ちょっとゲイっぽい外人歌手のプリンスである。最近見ないけど。
しかしヨッシーはなぜか、地図で見たとき、プリズンビーチ、と読んでしまった。それからずーっとプリズンビーチのまま来たのである。プリズン=刑務所、であるから、刑務所浜?そんな名前つけるわけないんだが、なんとなくそう読んでしまったからしかたない。
県道を走っているとき、車から声をかけてくれた水道局のおじさんが、テントがいくつか並んでるからすぐわかると言われていたのであるが、来てみてその意味がわかった。
一目で長期滞在者の物、とわかるテントが3つある。
う~ん、なんだか難民キャンプっぽい。だったらやっぱりプリズンビーチでいいんではないか?
真ん中のテントの男と少し話しする。彼で1年半ほど住んでいるらしい。来月いよいよ北海道目指してバイクで走りはじめると、遠い目をしてポツリポツリと話す。
ヨッシーはなんだか疲れ気味である。もうあんまり動きたくないし暑いし喉が渇いた。勝ってきたコーラで焼酎を割って飲みながらテントをゆるゆる建てる。
ちょっと休憩してからシャワールームに行く。水シャワーだが、ありがたい。気持ち良くなってからテントで寝転んで休憩。
夕方、福岡から来た定年ライダーと話す。日本100名山は登ってしまったので、こんどは100離島をめぐる旅をしているそうである。
見切り品の棚から20円でかったグレープフルーツを絞って、焼酎割りを作る。かなりうまい。晩御飯はキャンベルのチキンスープに紅芋とキャベツを入れたもの。ごはんと一緒に食べると、ドリア風になる。
ああ我が風(ふう)人生哉。
あー、サイゼリアでいいからドリア食べたい。
走行 34キロ 出費 1398円(弁当、缶詰、コーラ、チキンラーメン)
経過報告 [沖縄編]
4月18日、徳之島での基地反対一万人集会に参加したヨッシーは、次の目的地、奄美大島に向かってフェリーに乗ったのだ。
本当は亀徳港からの船が、強風のため急きょ平土野という22キロ離れた島の反対側の港に変更になり、それを知ったのが定刻の2時間前だったから、いわゆる必死のパッチで山越えして間に合った。
もー、勘弁してよ~。
ともかく4時間後には奄美大島に着くのだ。
徳之島でお世話になった皆さん、ありがとー。
また日記はこのあと順次更新しまんにゃわ。
犬田布岬~犬の門蓋 [九州編その2]
2010年4月16日 金曜日 160日目
7時半起床。まだ空は曇っているが、雲の位置が高いのと空がやや明るいのとで出発確定。情報源がないので、原始人並の天候判断である。
出発準備していると、観光バスがやってきて、乗客は大和の慰霊塔を観光しにいった。運転手は宮地おさむに似ている。おさむが色々話しかける。
おさむが突然オカリナを取り出して、朗々と吹き出した。うまいものである。こうやってバスで留守番している間、暇なもんだから相当練習したようである。
しかしこういうのはいかがなものか。いきなり「ね、ね、うまいでしょ」、てな感じで押し付けっぽく聞かされると、ちょっと興ざめすることもある。
おさむをほったらかしにして、ヨッシーももう一回大和慰霊碑のほうに見学に行く。
慰霊碑に用があるのではなく、その先の絶壁下に打ち付ける波の写真が撮りたかったのだ。何回もシャッターを押した中でのベストスリーはこれだ!ワンツースリー。
昨日のほうが波が高くて迫力があったが、カメラを持って行ってなかったので撮らなかったのが悔やまれる。
犬田布という土地名のわりに、犬より猫のほうが多かった。このままではいつの日か、猫田布岬になる日も近い!
ねっ、君達。
10時に出発。海岸沿いの道を行き、観光地図にある、展望台なるところを目指す。畑のおじさんとかに道をたずねながら到着。
犬田布岬のほうを見て写真を一枚。大和の慰霊塔が小さく見える。
絶壁がずっと続いているすごい風景である。あの崖の際から下を見たらすごいだろうな、とか想像してひやりとしたので、みんなも想像してひやりとしてほしい。
テレビのミステリーもののエンディングシーンに必ず出てくる崖に、ここを推薦しますっ。ぜひ撮影に使ってくださいっ。
展望台屋上に島の地図があったので、いい機会だから地理案内をしておく。
まず、フェリーで上陸した亀徳港はこの白いヘルメットを置いたところ。
それから、犬田布岬はこの位置。
時計周りに島を回っている。
また道に迷い気味に、県道83にもどる。ところで徳之島には国道が無い。1ミリも無い。あるのは県道だけである。
糸木名というところで無人販売所にであう。ちょうどおばさんが商品を補充しているところでもあり、気になったので寄ってみた。なんせ冷蔵ケースまで備えた無人販売なのである。しかもこのおばさんは得意の料理を駆使して、自家製の漬物やごはんのお供になりそうなものを出している。
もともと神戸に長年住んでいたが、やっぱり田舎がいいと思って帰ってきたそうである。だから無人販売もちょっと垢抜けている。
サーターアンダギーとスルメのキムチ和えと抹茶もちを買う。1000円札でおつりを700円くれた。無人だけど今日は有人販売だったのでおつりが出た。
12時半、犬の門蓋(いんのじょうふた)というところにつく。ヘルメットのおいてある位置である。
徳之島の人は牛も好きだが、犬のつく地名が好きだなあ。
テーブルでお昼を食べていた3人組のおじおばさんがたが、さっき目の前にくじらが来た、という。すごい近かったというので、ヨッシーもしばらく海面を見つめていたが、なかなか出てこない。さきに門蓋なるところを見に行く。
ここはすごい。こんなふうに穴が開くまでどんだけ時間がかかったろうか。
とにかく写真を撮りまくる。
そしてまたもとの場所にもどってくじらを見張る。
双眼鏡も駆使する。
よーし、もう今夜はここでキャンプだ。まずは近くの平土野(へとの)に行って、買い出しと奄美行きフェリーのチェック。亀徳からも船はでているが、ここからも乗れる。時間と料金をチェックしておく。
門蓋にもどって、くじら観察用テント設置。
見張りながらごはんも作る。焼酎ものむ。
残念。この日はもうくじらは現れなかった。
走行 28キロ 出費 1100円 (弁当、発泡酒、無人販売)