三原~安原 古い町並み&東北地震 [本州編 山陽路の巻]
2011年3月11日 金曜日 488日目
晴れ。朝日がきれいに見えた。NHKラジオビタミンに、ネットで投稿した写真が紹介された。やった。
9時に出発して国道185を行く。快調に走り、10時過ぎに竹原市に入る。
道の駅で休憩し、ここにも昔の町並みがあることを知る。
近辺を走ると、なるほどそういう家が並んでいる。
資料館に入るとき、周辺の旧家などを巡れる割安の共通券があると聞き、500円でこれをゲット。
資料館に展示されていた鍬。刃先の部分だけ金属でできている。そういえば赤穂で会った造園業のOさんが、いまはこういう鍬を打ち直せる鍛冶屋が無くなって、岡山県の山の中に一軒だけあると言っておられたなあ。
竹原市出身の三村博士。量子力学の研究で大きな成果を上げた方だそうである。奇しくもヨッシーが人生相談している心相科学も、量子力学理論と無縁ではないのだ。理論として、合い通ずるところがある。何かのご縁だろうか。
きちんと削られた鉛筆が、博士の人となりを表しているようである。
次は松坂家。竹原は塩田で一斉を風靡した地区なので、大きな家が残っているのだ。
ちゃんと表札も松坂さん。
立派な屋根瓦。
昔の家は座敷がいくつも連なっていたのだ。
台所には竈は残っていなかった。
季節はひな祭り。この地区に残っている古いお雛様の展示も、併せて行われている。ちょっと怖い感じでもある。
ええなあ。こいう昔の電気製品とかヨッシーは好きなんである。
こういうお雛様はあまり見たこと無かった。
古い家だから、隙間があって当然ではある。
渡り廊下も、デザインに凝った作りである。
松坂家のあとは、町で見つけたドコモショップ。またしても充電。その待ち時間に買い物と昼食。
弁当買って食い、今日はなぜか餡ドーナツのデザート付き。
次の見学は森川さんちである。その手前で見つけたええ感じの中華そばや。のれんの印から屋号は一富士らしい。うーん気になる。
しかしまずは森川さんちに行かねば。さっきの松坂さんとこと比べたらあかんけど、かなり大きく立派。
庭も大きいし座敷も広い。
ちょっと自分の家みたいに振る舞って記念撮影してみる。
磨り硝子の隙間からいい感じにお庭が見える。なんだか贅沢やなあ。一泊くらいしてみたい。夜は一人で怖いかな?
なんちゅうのかな?窓の格子模様も凝っている。稲妻模様のところは張り合わせでなく、一本の材料から切り出されている。
台所と座敷には、昔の風習どうり段差がある。女や使用人はここから滅多に上がることはできなかったのだ。
この家には竈が残っていた~。
しかしその横にはIHが~!
風呂の焚き口はあったがお風呂は公開されていなかった。
裏の茶室。
よし、森川さんとこは堪能した。
町中にあった木造3階建ての写真館。白黒で撮って雰囲気出してみた。
さいごは光本さんち。ここはそんなにおおきなお家ではなかった。お雛様が各種展示されている。
小間物が精巧に作られている。
蔵は今井さんという地元出身陶芸家のギャラリーになっている。
一階はお父さん、2階はその息子さんの作品が並んでいる。やっぱ息子のはおもろいなあ。
ちなみにお父さんのはこれ。
がまんできずに隣の一富士に入る。骨董品物の親爺に、中華そば600円也を発注。
醤油味ベースに少し豚骨?か何かが混じっている。
あっさりしていて美味しかった。600円納得~。
竹原の寄り道もたいがいにして先へ進む。
国道185沿いにあった農家レストランの幟旗。気になるが腹は一杯だし今回はあきらめる。
3時20分、東広島市に入った。
道の端に牡蠣の殻が大量に積んである。さすが広島。
安原町に入ったところで日暮れが近づく。地図に載っている稚児公園ってのが良さそうなので坂道大変やけど上がってみた。
段々畑みたいに藤棚が並んでいて、テント張るのに好立地。トイレも水もある。
まずは発泡酒で自分をねぎらう。よく頑張った!
家も建った。
テントの中でラジオをつけると、東北かどこかで地震があったと伝えている。瀬戸内海にも津波警報が出されているとか。たまたま高台やったからここにいれば良し。
実家に電話して状況を聞く。東京も電車が止まったりして大変だとか。何人か東京の友人にメールしたら、全員無事やった。
沖縄でいるときも、ヨッシーは津波警報に会って高台に避難したのだが、県民の皆さんは避難もせずいつもどうりにされておったなあ。安原町の人はどうやろか?
夕暮れ時、車が2台ほど公園の駐車場に来たけれど、1時間位したら降りていってしまった。避難してきたのか?若い恋人たちか?不明。
走行 49キロ 出費 2080円 (弁当、ちくわ、カニサラダ、ワンタン、あんドーナツ、缶コーヒー、ラーメン、共通券、発泡酒)
晴れ。朝日がきれいに見えた。NHKラジオビタミンに、ネットで投稿した写真が紹介された。やった。
9時に出発して国道185を行く。快調に走り、10時過ぎに竹原市に入る。
道の駅で休憩し、ここにも昔の町並みがあることを知る。
近辺を走ると、なるほどそういう家が並んでいる。
資料館に入るとき、周辺の旧家などを巡れる割安の共通券があると聞き、500円でこれをゲット。
資料館に展示されていた鍬。刃先の部分だけ金属でできている。そういえば赤穂で会った造園業のOさんが、いまはこういう鍬を打ち直せる鍛冶屋が無くなって、岡山県の山の中に一軒だけあると言っておられたなあ。
竹原市出身の三村博士。量子力学の研究で大きな成果を上げた方だそうである。奇しくもヨッシーが人生相談している心相科学も、量子力学理論と無縁ではないのだ。理論として、合い通ずるところがある。何かのご縁だろうか。
きちんと削られた鉛筆が、博士の人となりを表しているようである。
次は松坂家。竹原は塩田で一斉を風靡した地区なので、大きな家が残っているのだ。
ちゃんと表札も松坂さん。
立派な屋根瓦。
昔の家は座敷がいくつも連なっていたのだ。
台所には竈は残っていなかった。
季節はひな祭り。この地区に残っている古いお雛様の展示も、併せて行われている。ちょっと怖い感じでもある。
ええなあ。こいう昔の電気製品とかヨッシーは好きなんである。
こういうお雛様はあまり見たこと無かった。
古い家だから、隙間があって当然ではある。
渡り廊下も、デザインに凝った作りである。
松坂家のあとは、町で見つけたドコモショップ。またしても充電。その待ち時間に買い物と昼食。
弁当買って食い、今日はなぜか餡ドーナツのデザート付き。
次の見学は森川さんちである。その手前で見つけたええ感じの中華そばや。のれんの印から屋号は一富士らしい。うーん気になる。
しかしまずは森川さんちに行かねば。さっきの松坂さんとこと比べたらあかんけど、かなり大きく立派。
庭も大きいし座敷も広い。
ちょっと自分の家みたいに振る舞って記念撮影してみる。
磨り硝子の隙間からいい感じにお庭が見える。なんだか贅沢やなあ。一泊くらいしてみたい。夜は一人で怖いかな?
なんちゅうのかな?窓の格子模様も凝っている。稲妻模様のところは張り合わせでなく、一本の材料から切り出されている。
台所と座敷には、昔の風習どうり段差がある。女や使用人はここから滅多に上がることはできなかったのだ。
この家には竈が残っていた~。
しかしその横にはIHが~!
風呂の焚き口はあったがお風呂は公開されていなかった。
裏の茶室。
よし、森川さんとこは堪能した。
町中にあった木造3階建ての写真館。白黒で撮って雰囲気出してみた。
さいごは光本さんち。ここはそんなにおおきなお家ではなかった。お雛様が各種展示されている。
小間物が精巧に作られている。
蔵は今井さんという地元出身陶芸家のギャラリーになっている。
一階はお父さん、2階はその息子さんの作品が並んでいる。やっぱ息子のはおもろいなあ。
ちなみにお父さんのはこれ。
がまんできずに隣の一富士に入る。骨董品物の親爺に、中華そば600円也を発注。
醤油味ベースに少し豚骨?か何かが混じっている。
あっさりしていて美味しかった。600円納得~。
竹原の寄り道もたいがいにして先へ進む。
国道185沿いにあった農家レストランの幟旗。気になるが腹は一杯だし今回はあきらめる。
3時20分、東広島市に入った。
道の端に牡蠣の殻が大量に積んである。さすが広島。
安原町に入ったところで日暮れが近づく。地図に載っている稚児公園ってのが良さそうなので坂道大変やけど上がってみた。
段々畑みたいに藤棚が並んでいて、テント張るのに好立地。トイレも水もある。
まずは発泡酒で自分をねぎらう。よく頑張った!
家も建った。
テントの中でラジオをつけると、東北かどこかで地震があったと伝えている。瀬戸内海にも津波警報が出されているとか。たまたま高台やったからここにいれば良し。
実家に電話して状況を聞く。東京も電車が止まったりして大変だとか。何人か東京の友人にメールしたら、全員無事やった。
沖縄でいるときも、ヨッシーは津波警報に会って高台に避難したのだが、県民の皆さんは避難もせずいつもどうりにされておったなあ。安原町の人はどうやろか?
夕暮れ時、車が2台ほど公園の駐車場に来たけれど、1時間位したら降りていってしまった。避難してきたのか?若い恋人たちか?不明。
走行 49キロ 出費 2080円 (弁当、ちくわ、カニサラダ、ワンタン、あんドーナツ、缶コーヒー、ラーメン、共通券、発泡酒)
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