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有家~多比良 [九州編その1]

2009年11月21日 土曜日 14日目 ちょうど出発してから2週間になったけど、もっと経ってるような気もする。毎日日記をつけていないと、曜日の感覚ももう怪しい。 ひさしの下にしては落ち着く空間だった。風もなく穏やかな朝にちょっとホッとする。寝袋に入ったまま半身起こしボーっとしていると、たまにやってくる散歩の人と目が合う。びっくりしたようになさるのが申し訳ない。 7時になってしっかり日が昇ったので出発準備をする。テントを立てていないと、収納する手間が減る分手早く準備できる。 7時40分には走り始めていた。今日は島原を通り、その北の多比良(たいら)というところまで走りたい。できるだけ国道251を走るのを避け、旧街道を見つけては横道に入る。 司馬遼太郎は海道を行ったが、ヨッシーは旧街道を行く。 勘を働かせて斜めに街並みの方に入っていくと、大体は昔の幹線道だった道に通じている。食品店、酒屋、散髪屋。とくにここらには海産物をあつかう店や会社が多い。通りすがりに目が合うと、おはようとか、こんにちはとか必ず挨拶してくれる。子供も大人もしてくれる。ヨッシーも挨拶する。 10時に道の駅、みずなし本陣ふかえに到着。早起きすると行程がはかどる。温かい休憩室でぬくもりながら、携帯とか電池とか充電させてもらう。ここのところ曇り空が多いのでソーラー充電ピンチなのである。 ここには普賢岳噴火時お土石流被災家屋がそのままに残されて展示されている。 被災家屋1 被災家屋2 軒のところまで埋まってしまった家が当時のままにしてある。少し離れたところにある家は被災を免れたのか、ちょっとの違いでたすかったんだな~、と思い近づいたら。2階建て家屋の1階部分が埋まっていた。1階に見えたのは2階部分だったのである。 充電も兼ねた大休憩ができたのも、早起きのおかげ三文の得。 島原城に立ち寄るか迷いながらも、その方向に向かう。案外あっという間に到着し11時少しすぎ。天守閣の前で記念撮影。 島原城 入館料は520円。1日予算の半分が消えてしまう。同じ敷地内にある普賢岳噴火からの復興記念館にも共通で入れるので、ここは奮発する。こういう展示でもっとも期待が持てるのは、映像展示だと思っている。噴火当時はテレビでさんざん流れた映像も、記憶が風化するのは案外早い。他では見られない資料だったりするから必見である。 城の資料館ではキリシタンの展示が、これも興味深かった。島原に最初に宣教師がやってきたときはほんの数百人から始まった信者の数も、たった数年で十数万人にまでにも増えている。恐るべし。 当時実際に使われていた踏絵などもあり、リアルに事実を追確認。また、庭の灯篭の裏側に、十字の紋様を刻んであったり当時隠れて信仰していた名残が見られて、自分がそういう場所にいることをやっとここで確認したりしている。 天守閣から街を見下ろす。 天守閣と自分 城の裏側に回ると、石垣に「鉄腕ダッシュ」の看板が。 鉄腕ダッシュ 今年の8月に放映されたものらしい。 やや腹が減ったが、さらに武家屋敷にも立ち寄る。いくつかの家が当時のまま残されていて、自由に無料で中まで入ってみることができる。屋根のわらぶきは新しいが、天井あたりの壁のすすは当時のままなのではないか。 武家屋敷人形 午後1時半にやっと昼飯。見つけたすき屋で牛丼並299円也。 目的地、多比良の手前に有玉温泉発見。入浴300円なら入らねばなるまいて。 有玉遠景 有玉玄関 湯江という駅前にある共同浴場。黒っぽいお湯で、源泉かけ流しとある。ヨッシーには少しぬるかった。 温泉を出たらもう3時。急いでねぐら探ししなければ。 結局多比良港のフェリー乗り場左側にある細長い公園に決定。テントを張ったがここは野良猫の巣窟だったようで、食べのものにおいで寄ってくる。テントを張ろうとしていて、ぱっと振り返ると近くまで忍び寄っている。コラ~と追い払ってまたテントを立てようとしたら殺気を感じて振り返るとまた猫が!だるまさんがころんだ状態でなんとか設営。 多比良公園 いよいよ明日はフェリーで熊本県に渡る。気がかりなのはラジオで聞いた、午後から雨模様の予報。どこまで進めるやら。 走行 44キロ 出費 1532円 島原城、温泉、牛丼、パン、みかん、発泡酒
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