小浜~有家(ありえ) [九州編その1]
2009年11月20日 金曜日 13日目
お世話になった小浜の公園でテントを畳み、9時に走り出した。今日は口之津か、そのさきあたりまでくらいか。海岸沿いの国道を黙々と走り、口之津には11時半頃到着。朝から曇り空だったが。ここでとうとうぽつりぽつりと雨が降りはじめた。港の公園にある、トイレ兼休憩所で雨宿りおよびコンビニおにぎりで昼食。雨は強くないがせっかく屋根の下にいるので、時間を使って携帯でブログの更新。写真は入れられず、文章しか打てないのでがんばって色々報告したいが、携帯のキーではなかなか思うように作文できない。
12時半に雨も止み、出発。ここからは乗らないが、天草のほうに渡るフェリー乗り場に寄って料金などを確認だけしておく。待合室に暖房が入っていたのが軽くショックを受けた。世間はそんなに寒いのか?走ってるあいだは暑いくらいなので、感覚が麻痺しているのかな。
走り出すとじきに有馬にさしかかる。ここには天草四郎が最後の戦いを繰り広げた原城跡がある。歴史大好き!ではないが、本物の場所には何か感ずるものがある気がして訪ねることにしている。
城はだいたい坂の上にある。赤い流星で元本丸のあったところまで登る。ちょうど駐車場であった男性に、「小浜のあたり走ってましたね」、とこえをかけられた。長崎から来た人だった。
そのすぐあとに車で着いた人も一人旅のようである。自転車を見てすぐに、写真とっていいですか?と声をかけてくれた。
自分で自分の写真はなかなか撮らないんで助かります。
じゃあ撮ったやつ送りますよ。
といって名刺交換した。岡崎から来た小山さんも昔はあちこち自転車で放浪旅行したそうである。こういう人から見ると、ヨッシーの自転車旅はさらにうらやましい行動に写るようである。
一緒に本丸跡を見学する。
キリシタン弾圧の結果、島原の乱となり、3万7千人に対して12万余の大軍が攻め掛かって一揆は集結した。徳川方は、何も残らないように徹底的に城跡などを破壊したといわれている。本丸跡にあった天草四郎の墓は、思ったよりかなり小さく、控えめに作られているかのようであった。
四郎の墓の斜め後ろ、金網の外に海の方を見つめる3体の仏様?が。
小山さんと別れ、一人丘を下って海岸べりの道を北に進む。時間はすでに午後3時になりかけている。明るいうちに今夜のねぐらを探さねば。海岸沿いを進めば、よさげな浜などあるかと思ったが、なかなか適当な浜がない。ずんずん進むうちに、事前に地図で見当をつけていた、有家(ありえ)の運動公園に行ってみる。雨が降りはじめる。こんどはちょっと本格的だ。運動公園のあずまやに逃げ込んだら本降りになり、身動きできなくなった。寒いし腹が減ったので、そのままあずまやの下で魚肉ソーセージ入りラーメンを作り、食べた後のスープにもめん豆腐を入れて再度煮込んで食べる。体も暖まるし、食費も安く済む。
暗くなり、運動公園の管理人がいなくなった頃を見計らい、隣接している海岸公園の管理棟兼トイレシャワー施設に場所を移す。いまは冬で、シャッターが閉まったままの更衣室前にいい感じで自転車ともども雨を避けられて、横になれるスペースを発見。今夜はテントを張らずにここのひさしの下で野宿する。
買っておいたワンカップ焼酎をお湯で割り、一人乾杯。
走行 53キロ 出費 775円
2009-11-21 10:37
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0