長崎~諫早 ラジオガール!&シーボルト [九州編その3!]
2011年4月22日 金曜日 530日目
こおゆうところで寝ました。そのすぐ横にはこんな石碑が建っていた。
コレラで亡くなった方々の無縁墓地がここにあったようである。昨夜見つけた時はここで寝るかどうか2秒くらい迷ったけど、すでにお墓は移転しているし、考えようによったら一人で寂しく夜を過ごすよりは賑やかな方がいいかな?とか。
しかし寝たのは3時、起きたのは5時やった。通路でインスタントラーメンつくって朝飯とする。
出発前に女神大橋を半分だけ渡ってみた。有料なんだけど、歩行者と自転車は無料。
上から見下ろすと、自衛艦が出航していくところやった。橋上からの眺めを携帯で撮って、ラジオビタミンに投稿する。
さあ帆船祭り2日目に行かねば。今日は船内を見学できるのである。しかし出島ワーフに着いたとたん小雨が降り始めた。しゃあない傘を差して見て回る。
まずは大阪から来た、「あこがれ」って研修船。9時の見学開始と同時に乗り込んだので一番乗り。
デッキから、
船内へ。案内役のスタッフに、もしかして荷物積んだ自転車の人ですか?と見破られた。見とったんかい~。まあ目立つからな。
階段下りて、
船員のベッドが並ぶ部屋や、立派な応接室があった。
サンキュウあこがれ。
つぎはドーントレッダーっていう静岡からきた船。会社の研修船として買い取り、使用しているが初めは南極探検を目的にスペインで建造された船なんだとか。え!これで氷かち割りながら進めるのか?ようわからん。
船内は買い取った後、リフォームしたそうで、なんだかバブル期の遺産のような造りになっておる。ラウンジに降りる際は靴を脱がねばならんかった。
ホテルのような部屋が4つあった。
次は韓国からのコリアナ。なかなか年期の入った船である。帆船の練習船は韓国ではこれ一隻なんだそうである。
ラウンジには船員の私物とかがちらほら置いてあり、ざっくばらんな感じの船内公開になっとる。お国柄がでるなあ。
ほかの船もそうだけど、各電子機器のモニターが並んでいて、風で走る大航海時代的なイメージをぶちこわしてくれる。
雨も降ってるし一番見たかった日本丸の公開は後日なのでとっとと帆船見学は終わり、腹が減ったので牛丼を食いに行く。
なんせ5時から起きてるからね。まだ10時半やけどもう我慢できんもん。すき家は牛丼250円キャンペーン中。
さ、腹ができたら次はシーボルト記念館へ。国道34を走り、鳴滝というところを目指す。以前、シーボルトの娘、という本を読んだことがあり、長崎に来たら絶対に訪れたい場所の一つやったのだ。
本では、庶民の暮らし向きや習慣、お祭りの様子とか、また決まり事やオランダ船が入港する際の受け入れ手順、入港後の対応などが細かく描写されていたのを興味を持って読んだ。シーボルトが日本人妻との間にもうけたイネと言う娘が、日本初の女性産科医になり生涯を閉じるまでの、ほぼ史実に基づいた伝記のような物語。
国道から案内看板に沿って左折。
細い坂道を、高校に向かって上がっていく。西洋医学を学ぶため、全国各地からシーボルトに教えを請うためにやってきた人たちもこの坂を上がったのかも。
学校に突き当たり、
さらに細い坂を上がると記念館があった。
この場所に鳴滝塾という私塾を開き、診察をしながら弟子たちに医術を伝えていったのである。
家はもうないが、こういう写真が残っているのはありがたい。
入館料が100円なのもありがたい。
イネのへその緒が展示されている~!こんなのよく残ってたな。
シーボルトの手紙。直筆のものが見れるのがうれしい。
シーボルトが日本から持ち出そうとした西日本の地図。今見てもかなり正確である。
シーボルト事件って聞いたことあるやろ。昔教科書で習ったやん。シーボルトは日本研究のために手に入れた、当時としては持ち出し禁止の品々を船で持ちだそうとしたのを見つかってしまったのである。
出航するまでは見つからなかったのが、港を出る際に嵐にあった船が座礁してしまい、これをきっかけに積み荷が改められて発覚したと聞いていた。しかし館内の展示には、最近の説として禁制品はまだ出島の中にあったかもしれんとなっている。
物語としては船の中にあったほうがおもしろいから、伝聞のうちにこちらがマコトシヤカになっていったのかも。
シーボルトが晩年住んだドイツの家。っていうかお城やん!
そしてミュンヘンにあるシーボルトのお墓と、日本妻のお滝のお墓。お互い生き別れになったが、ここで写真で隣同士になれたのである。
約1時間半かけて見学した後、再び国道34号線で諫早を目指す。この旅の始まり頃にも立ち寄って滞在させてもらった、あっちゃんのお家に行くのだ。今日から天候が崩れるから急ぐのだ。
川の中にこんな施設が。何じゃこの煙突は?ようわからん。
ゆるゆると続く坂道をあがり、トンネルを越えるとこんどは一気に下り坂になる。
雨が降り始め、どこか雨宿りのところはないかきょろきょろしながら走っていたら、道の反対側になんだか派手派手な乗用車発見。信号渡って見に行ったら、長崎放送のラジオカー、スキッピーやった!
いままさに放送するところで、見ててもいいかな?と聞いたらどうぞどうぞと快く受けてくれた。
その間に、腹切り坂の案内を読む。
数分でお天気情報を送った後、ラジオガール?の二人が、逆に色々質問してきてくれた。さっき道の向こうを走っていたのも見られていて、「あの人なんやろ~」、とか思っていたそうだ。
名刺交換して、来週火曜日に出演してもらえないかと提案いただき快諾。では後日と挨拶して別れた。
雨はすぐに止み、3時に諫早市境を越える。
思い出しながらかどや食堂のところに到着。もう5時になってる。ここからあっちゃんの家までは、ひたすら坂道を上がらんといかんのだ。登って登って登って、もうこの先に家なんかないやろ~と思うくらいのまだ先に家があるのだ。
2009年に泊まったとき、お家からこの坂道を一気に走り降りていたとき、路面のへこみでバウンドしたはずみでバッグの中身が散乱し、デジカメも路上をごろごろ転がったのはこの場所だ~。指さしてるところにへこみがある。1年半たってもそのままや~。
この石垣のあたりをカメラとかがごろごろ転がった。頑丈なカメラやったから無事やったけど。
あっちゃんの家には6時10分に到着。70分かかったか~。聞いてはいたが家は留守で誰もいない。犬のジャックとネコのもぐらが出迎えてくれる。鍵をかけるような家でもないので、かってに上がり込んでお風呂もわかして入り、手持ちのインスタントラーメン食ってテレビを見ながらソファでうとうとしてたら10時頃にあっちゃんと高校生になった娘のなずなが帰ってきた。あっちゃんは塾を経営しているので、夜働いているのだ。
テーブルに置いてあったサンドイッチが消えているのを見て、「ここにサンドイッチ無かった~」、と聞くあっちゃんに、「知らんもん」、と答えておく。
昨夜2時間睡眠だっただけに睡魔に勝てずそのままご臨終。
走行 49キロ 出費 1820円 (味噌汁、ジュース、すき家、シーボルト記念館、靴の中敷き、ウェットティッシュ、お土産ロールケーキ)
こおゆうところで寝ました。そのすぐ横にはこんな石碑が建っていた。
コレラで亡くなった方々の無縁墓地がここにあったようである。昨夜見つけた時はここで寝るかどうか2秒くらい迷ったけど、すでにお墓は移転しているし、考えようによったら一人で寂しく夜を過ごすよりは賑やかな方がいいかな?とか。
しかし寝たのは3時、起きたのは5時やった。通路でインスタントラーメンつくって朝飯とする。
出発前に女神大橋を半分だけ渡ってみた。有料なんだけど、歩行者と自転車は無料。
上から見下ろすと、自衛艦が出航していくところやった。橋上からの眺めを携帯で撮って、ラジオビタミンに投稿する。
さあ帆船祭り2日目に行かねば。今日は船内を見学できるのである。しかし出島ワーフに着いたとたん小雨が降り始めた。しゃあない傘を差して見て回る。
まずは大阪から来た、「あこがれ」って研修船。9時の見学開始と同時に乗り込んだので一番乗り。
デッキから、
船内へ。案内役のスタッフに、もしかして荷物積んだ自転車の人ですか?と見破られた。見とったんかい~。まあ目立つからな。
階段下りて、
船員のベッドが並ぶ部屋や、立派な応接室があった。
サンキュウあこがれ。
つぎはドーントレッダーっていう静岡からきた船。会社の研修船として買い取り、使用しているが初めは南極探検を目的にスペインで建造された船なんだとか。え!これで氷かち割りながら進めるのか?ようわからん。
船内は買い取った後、リフォームしたそうで、なんだかバブル期の遺産のような造りになっておる。ラウンジに降りる際は靴を脱がねばならんかった。
ホテルのような部屋が4つあった。
次は韓国からのコリアナ。なかなか年期の入った船である。帆船の練習船は韓国ではこれ一隻なんだそうである。
ラウンジには船員の私物とかがちらほら置いてあり、ざっくばらんな感じの船内公開になっとる。お国柄がでるなあ。
ほかの船もそうだけど、各電子機器のモニターが並んでいて、風で走る大航海時代的なイメージをぶちこわしてくれる。
雨も降ってるし一番見たかった日本丸の公開は後日なのでとっとと帆船見学は終わり、腹が減ったので牛丼を食いに行く。
なんせ5時から起きてるからね。まだ10時半やけどもう我慢できんもん。すき家は牛丼250円キャンペーン中。
さ、腹ができたら次はシーボルト記念館へ。国道34を走り、鳴滝というところを目指す。以前、シーボルトの娘、という本を読んだことがあり、長崎に来たら絶対に訪れたい場所の一つやったのだ。
本では、庶民の暮らし向きや習慣、お祭りの様子とか、また決まり事やオランダ船が入港する際の受け入れ手順、入港後の対応などが細かく描写されていたのを興味を持って読んだ。シーボルトが日本人妻との間にもうけたイネと言う娘が、日本初の女性産科医になり生涯を閉じるまでの、ほぼ史実に基づいた伝記のような物語。
国道から案内看板に沿って左折。
細い坂道を、高校に向かって上がっていく。西洋医学を学ぶため、全国各地からシーボルトに教えを請うためにやってきた人たちもこの坂を上がったのかも。
学校に突き当たり、
さらに細い坂を上がると記念館があった。
この場所に鳴滝塾という私塾を開き、診察をしながら弟子たちに医術を伝えていったのである。
家はもうないが、こういう写真が残っているのはありがたい。
入館料が100円なのもありがたい。
イネのへその緒が展示されている~!こんなのよく残ってたな。
シーボルトの手紙。直筆のものが見れるのがうれしい。
シーボルトが日本から持ち出そうとした西日本の地図。今見てもかなり正確である。
シーボルト事件って聞いたことあるやろ。昔教科書で習ったやん。シーボルトは日本研究のために手に入れた、当時としては持ち出し禁止の品々を船で持ちだそうとしたのを見つかってしまったのである。
出航するまでは見つからなかったのが、港を出る際に嵐にあった船が座礁してしまい、これをきっかけに積み荷が改められて発覚したと聞いていた。しかし館内の展示には、最近の説として禁制品はまだ出島の中にあったかもしれんとなっている。
物語としては船の中にあったほうがおもしろいから、伝聞のうちにこちらがマコトシヤカになっていったのかも。
シーボルトが晩年住んだドイツの家。っていうかお城やん!
そしてミュンヘンにあるシーボルトのお墓と、日本妻のお滝のお墓。お互い生き別れになったが、ここで写真で隣同士になれたのである。
約1時間半かけて見学した後、再び国道34号線で諫早を目指す。この旅の始まり頃にも立ち寄って滞在させてもらった、あっちゃんのお家に行くのだ。今日から天候が崩れるから急ぐのだ。
川の中にこんな施設が。何じゃこの煙突は?ようわからん。
ゆるゆると続く坂道をあがり、トンネルを越えるとこんどは一気に下り坂になる。
雨が降り始め、どこか雨宿りのところはないかきょろきょろしながら走っていたら、道の反対側になんだか派手派手な乗用車発見。信号渡って見に行ったら、長崎放送のラジオカー、スキッピーやった!
いままさに放送するところで、見ててもいいかな?と聞いたらどうぞどうぞと快く受けてくれた。
その間に、腹切り坂の案内を読む。
数分でお天気情報を送った後、ラジオガール?の二人が、逆に色々質問してきてくれた。さっき道の向こうを走っていたのも見られていて、「あの人なんやろ~」、とか思っていたそうだ。
名刺交換して、来週火曜日に出演してもらえないかと提案いただき快諾。では後日と挨拶して別れた。
雨はすぐに止み、3時に諫早市境を越える。
思い出しながらかどや食堂のところに到着。もう5時になってる。ここからあっちゃんの家までは、ひたすら坂道を上がらんといかんのだ。登って登って登って、もうこの先に家なんかないやろ~と思うくらいのまだ先に家があるのだ。
2009年に泊まったとき、お家からこの坂道を一気に走り降りていたとき、路面のへこみでバウンドしたはずみでバッグの中身が散乱し、デジカメも路上をごろごろ転がったのはこの場所だ~。指さしてるところにへこみがある。1年半たってもそのままや~。
この石垣のあたりをカメラとかがごろごろ転がった。頑丈なカメラやったから無事やったけど。
あっちゃんの家には6時10分に到着。70分かかったか~。聞いてはいたが家は留守で誰もいない。犬のジャックとネコのもぐらが出迎えてくれる。鍵をかけるような家でもないので、かってに上がり込んでお風呂もわかして入り、手持ちのインスタントラーメン食ってテレビを見ながらソファでうとうとしてたら10時頃にあっちゃんと高校生になった娘のなずなが帰ってきた。あっちゃんは塾を経営しているので、夜働いているのだ。
テーブルに置いてあったサンドイッチが消えているのを見て、「ここにサンドイッチ無かった~」、と聞くあっちゃんに、「知らんもん」、と答えておく。
昨夜2時間睡眠だっただけに睡魔に勝てずそのままご臨終。
走行 49キロ 出費 1820円 (味噌汁、ジュース、すき家、シーボルト記念館、靴の中敷き、ウェットティッシュ、お土産ロールケーキ)
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