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西原町 伊江島タッチュー [沖縄編]

2010年3月5日 金曜日 118日目 う~ん、眠い。だるい。やっぱり風邪引いたみたいである。しかし昨夜畳の上で寝られたおかげか、あんまり辛くはない。 8時に起こされ、ボスの手作り朝ご飯をいただく。奥さんはすでにご出勤である。頭が下がる。夜遅く帰り、朝早くから働きに行かれる人からすれば、ヨッシーなんかは馬の骨どころか馬の小便くらいの存在に思えるのではないか。 しかし、白い温かいご飯、目玉焼き、具だくさんの味噌汁に、ボスの友達である海人から頂いたというアジの刺身の朝ご飯は、高級旅館の朝ご飯に匹敵する。 ボスに、今日は予定あるの?と聞かれたので、ありませんと正直に答える。じゃあ今日までお世話してあげようね、と言われ、相談の上で本部にキャンプしているとき、行きたくて行かなかった伊江島に連れて行ってくれることに決定。早速準備して9時に車で出発。 高速で名護まで出て、本部まで1時間ちょっとで着いた。ボスの仕事は、会社や施設の変電設備の保守点検で、独立事業主である。緊急の呼び出しがなければあとは自由という恵まれた環境だそうな。 DSCF1847.jpg DSCF1848.jpgDSCF1849.jpg 本部港から11時発のフェリーにうまく乗れた。伊江島までは約30分の航海である。 DSCF1850.jpg DSCF1853.jpgDSCF1854.jpg 島を時計回りにドライブする。西のはずれの灯台までいったが、それは基地の施設の中にあり、そばまで行けなかった。ここ、伊江島にもご多分にもれずアメリカ軍の施設があり、多額のお金が島に交付されているという。島の北側に回り、わき水のある湧出海岸にでた。すごい断崖絶壁で、しかしながら海はめちゃくちゃキレイだった。本部にいるとき、現地の人に伊江島にはなにかありますか?と聞いたことがある。そのときは、なんにもないよ~、と返事が返ってきたが、なんにもアルじゃん!! DSCF1855.jpg DSCF1857.jpgDSCF1864.jpg DSCF1865.jpg それから島の真ん中にそびえ立つ岩山、城山に行く。ここは伊江島タッチューと呼ばれている。途中までは車で上がれる。展望台と売店があり、そこからは徒歩で山の頂上まで出られる。しかしながらヨッシーは、風邪のためかパワーがいまいち沸かず、登頂はパスしてしまった。 DSCF1866.jpg DSCF1867.jpg 一旦港にもどり、タッチューの売店のおばさんがおすすめのスズラン食堂でお昼ご飯。ボスもヨッシーもポーク玉子定食600円を頂く。またしてもボスにご馳走になる。 DSCF1871.jpg 帰りのフェリーは4時発なので、まだ時間に余裕がある。リリーフィールドにまわったが、百合の花はまだ咲いていない。 DSCF1873.jpg DSCF1874.jpgDSCF1875.jpg DSCF1876.jpg 南側の海岸を歩いて散策する。引き潮加減で干上がった岩場を歩き、貝やウミウシなどをつついて遊ぶ。やってることが子供レベルである。でも楽しいのである。 DSCF1878.jpg DSCF1879.jpg 4時のフェリーで本部にもどり、帰りは地道で行こうね、と走り始めたがあちこちで渋滞している。許田の近くで西から東海岸に山越えして、あとは国道329で西原を目指す。途中、宜野座や金武、石川など、自転車で走ったところを通過して、懐かしい風景を楽しんだ。 金武あたりからは運転を交代する。ヨッシー久々の運転である。20代30代は山ほど運転したが、今は自転車の運転?しかしていない。速度と車間距離を守って安全運転につとめましょう。 西原のお宅に帰り着いたのは、7時半頃だった。自転車に荷物を積んでいたところに奥さんが帰宅され、やっとご挨拶された。 ボスと奥さんにお礼を言って愛車の赤い流星号であがり崎の公園を目指す。ボスが別れ際に渡してくれた、昨日の三線イベントのスタッフ弁当の残りを、途中に寄ったサンエーの電子レンジで勝手に温めてから、公園のベンチで食す。 風が強くなったらいかんので、防風林の裏側あたりにテント張って寝る。やっぱり風邪が治りきっていないので調子悪い。しかしヨッシーの勘では、もう1日寝たら快方に向かうだろう。 走行 3キロ 出費 1063円 (発泡酒、おみやげ)

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西原町 三線の日~ボス、ついて行きます [沖縄編]

2010年3月4日 木曜日 117日目 8時頃目が覚める。天気はいいが風がまた強い。大城さんとの待ち合わせは11時なので、ゆっくり出れば良いと思っていたら、公園の芝刈りが始まった。係りのシルバースタッフのおっちゃんが、すまんがテント移動してー、と来たので撤収してしまうこととする。どうせ風が強いから、張りっぱなしにして三線イベントに行ってる間に飛ばされてしまったら困るし。 ちょっと体がだるい。風邪かな?早めに片づいたので早めに大城さんの家に着く。自転車を車庫に置かせてもらい、勧められてシャワーを浴びる。気持ちよかー。 大城さんの軽自動車で読谷村を目指す。高速道路を使えば1時間以内で行けるというので、文明のすごさを改めて想う。 読谷の手前でお知り合いのやっている民謡酒場に寄って昼食する。二人とも沖縄そばのセットにする。毎回思うが、沖縄のそばの上に乗るソーキとか三枚肉の量にうれしさを感じる。こんなにボリュームあって、600円とかなんだからありがたい。 DSCF1827.jpg 今日はお世話になるので、お昼は出します、というヨッシーを振り切って大城さんがまとめて会計すませる。ごちそうさまでございます。 読谷村役場の隣の鳳ホールが今日の会場である。いつもながら、人工の割に立派な役場やホールである。米軍の思いやり予算が村に入るのである。 DSCF1828.jpg DSCF1831.jpg DSCF1829.jpg イベントは1、2、3部とあり1部は11時45分から始まっているのでこれは飛ばして2部から入ることにする。しかーし、皆さんすごい熱心さ加減である。まだ会場まで1時間ほどもあるのにこんなに並んでいる。大城さんとヨッシーも最後尾につく。 大城さんのコネクションで、会場内にいるスタッフが席を押さえてくれているらしい。ホントにいい人とお知り合いになった。大城さんは月に一回、糸満市にあるFMタマンの民謡コーナーに三線と歌で出演されているということで、セミプロなんである。しかもタマンはヨッシーもたまたま前を通りかかって出演させていただいたこともあり、ご縁を感じる。 DSCF1830.jpg DSCF1832.jpg 会場にはいるとなんと、前から6列目の真ん中をいただけた。イベントの中心は、全員揃っての毎時報にあわせて演奏する「かぎやで風」という古典民謡の合奏である。今回で18回を迎える三線の日のイベントの要で、日本を始め世界でも毎時報に合わせて同じ曲を同時に弾くところがすごい。ところで、沖縄の言い方では、かぎやで風は、「かぎゃでふー」、と言う。司会の上原プロデューサーが、いい間違いをする若いアナウンサーに、番組内で何回もだめ出しをしていた。番組というのは、このイベントは琉球放送のラジオやインターネットラジオで配信されているのである。 15時のときは撮れなかったが、16時の時報で弾くかぎゃでふーのビデオ。 (ビデオ予定) 感動ものである。もちろん大城さんも隣の席で自分の三線を出して弾いておられるし、会場にそういう方がたくさんいる。こんな調子で世界中で何かをやる日があったら、世界平和も夢では無い気がする。 最後に抽選があり、三線などが当たるのだが、ヨッシーははずれであった。しかしもし三線が当たったら、背中に斜めにかけて自転車旅することになったろうが、ちょっと大変な気もする。 2部が終わって一旦会場をでる。総入れ替え制なので、外で並んでまた入らないといけない。3部はなんと夜の9時まである。三線するには体力もいるようである。大城さんは3部の整理券も持っていたが、今日はこれでいいね~と、帰り支度する。 まだ明るい中、帰途につく。西原までは帰りは高速を使わず、山の中を走る。そして北中城のエメラルド、というステーキハウスに連れて行ってくれた。ごちそうするからジャンボステーキ食べようね~、とまたしてもごちそうになる。 DSCF1833.jpg DSCF1834.jpgDSCF1835.jpg DSCF1836.jpg しかし肉はうまいなあ。酒井さんと焼き肉行ったときもうまかったけど、今日もうまい。ニンニクつけて食うとメチャウマ。 それから西原のお家に帰ると、奥さんの許可をもらったから今夜はうちに泊まりなさいと、布団を敷いてくれた。幼稚園で働く奥さんは、今日は保護者会で、帰宅が12時近くなるからそれまで飲みに行こう、と相成る。もうこうなったらどこまでも引きずられるままになっていよう。 スナック・ジュリーでは、大城さんはボス、と呼ばれていた。ビール、泡盛と始まり、何曲かカラオケを歌う。朝から調子の悪かった喉は、一日の疲れで絶不調だったが、なんとか歌った。 そこにお迎えの車が現れる。誰?と思ったら、さっき読谷の会場で席取りしてくれた熟女2人であった。さらわれるようにジュリーを後にして、こんどは知念と言うところの漁港にある民謡酒場に到着。 DSCF1839.jpg DSCF1840.jpgDSCF1843.jpg 今日は今まで生きてきた40数年分くらい、民謡漬けの一日である。酒場ではライブショー真っ最中で、お客も自由に飛び入り参加できるらしい。みんな太鼓たたいたり三線弾いたり、芸達者である。 最後の方でボスも三線と歌で飛び入り、フィナーレを締めくくった。 時間は0時を過ぎている。もうヨッシーはくたくたである。車に乗ってボスの家まで送られ、玄関入ったら2分で布団の中、だった。 走行2キロ 出費 0円

那覇~西原 響子&エリザベス [沖縄編]

2010年3月3日 水曜日 116日目 10時過ぎにカムカムを出て、西原町に向かって走る。明日、3月4日は三線の日。この日は全世界で毎時報と共に一斉に三線を弾くイベントがあちこちで行われる。先日たまたま西原のお気に入り海岸でキャンプしているところでヨッシーに声をかけてくれた大城さんが、3月4日にまだヨッシーが宮古島に行かず、沖縄にいるなら一緒にイベントに行こうとお誘いくださった。 そしてこの貴重な体験を是非ご一緒したいと連絡すると、快くお受けくださった。そのために那覇から西原まで移動する。 さて、こないだもマンガ喫茶に行ったばかりであるが、那覇から与那原(よなばる)に行く途中、南風原(はえばる)にも気になるマン喫がある。名前は、マンガの森。店前には値段表など無く、ここも当たって砕ける方式の入店になる。 適当な席に座ってメニューを見る。定食を頼むとあとは何時間でも読み放題である。ご飯の大盛りも有料100円増し。飲み物もついているがお代わりはできない。ランチ750円也を発注。ここの店員のおねいさんは若いときの真野響子にちょっとだけ似ている。でもこんなんことヨッシーが書いたからって、決して見に行ってはいけない。似ているのはほんのちょっとダケなんである。あとで文句言われるに決まっているのである。 時代物のマンガ、弐十手物語を1巻から読み出す。ものすごく長く続いた連載ものだけど、ヨッシーも最初から読むのは初めてである 。キャラクターとしては死に神の鶴次郎がメインだと思っていたが、連載スタート時点ではそうではなかった。ちょっと色っぽい場面も多く見られ、読み出すと止まらなくなった。 たまに読むのを休んで、真野響子を見る。そしてまた読む。でも皆さんは決してヨッシーの真似をしてはいけない。くれぐれも、である。 マンガにのめり込んでいるうちに、気がつけば午後4時過ぎ。やばい。後ろ髪は無いので引かれはしないが、もっと読みたい未練を残しながら退店。5時間ほどの滞在であった。また次回の来店時は、この続きを読もうぞ。 与那原の十字路から北に進路を取り、すぐの信号を右折してマリンタウンのカネヒデに進む。晩ご飯の調達である。そこで後ろから追い抜きざま助手席から手を振り、「ヨッシーさーん」、との呼びかけ付きで走り去る車が一台有り。お~、あれはエリザベスではないか。お気づきの読者のかたもあろうが、年末年始に西原の海岸公園で出会ったターナーくんの奥さんである。 カネヒデの入り口で再会。今日はひな祭りだからあとでちらし寿司もって行くね~、と有り難いお言葉をいただく。前のところあたりにテント張ってるからねと答え、一旦お別れする。 公園でテントを張り、お茶を入れてゆっくりしていると、よろず人生相談、の幟旗を見て声をかけてくれたご夫婦があった。喜んでご相談を受ける。毎回人の悩みは色々であると改めて思わせられるが、今回もかなりシビアな内容の相談であった。 ヨッシーに相談したいことは何ですか?と切り出すと奥さんが、「実は2日前に自殺未遂してしまいました」、と相談が始まる。 中略 約1時間にわたる相談で奥さんにも笑顔が戻り、口数少なかったご主人も嬉しそうにされている。少しはお役に立てたのかな。 車にもどったご主人が、なんと泡盛残波の一升瓶をもって帰ってこられた。過分なお礼に頭が下がる。 DSCF1825.jpg あたりが暗くなった頃、ターナーとエリザベスがちらし寿司を持って来てくれた。そしてターナーくんと次の土曜日飲もうねえ、と約束して別れる。ホントに気持ちのいい若者たちである。 夕ご飯はちらし寿司と自分で買った半額焼きそば。連日の飲酒であったから、今日は休肝日にする。残波は手つかずのまま、テントのすみに転がす。 いよいよ明日は三線の日である。 走行 16キロ 出費 1080円 (マンガ喫茶、焼きそば、パン)

那覇 酒井さん&ローレン・アゲイン [沖縄編]

2010年3月2日 火曜日 115日目 ちょっと二日酔い。午前中は仮眠にあてる。 昼前に起き出して、ラーメン自炊。本日の予定は、ヨッシーの大学時代クラブの先輩である、酒井さんと夜にお会いすることである。久しぶりなので楽しみである。 しかし夜まで暇なので、カムカムの漫画本を読んだり近くのローソンで立ち読みするが、あっと言う間に読むものがなくなる。 しかたなく近くのジュンク堂書店に赴き、本格的に立ち読みに入る。マンガコーナーに、鬼平犯科帳が揃っているのをみて、第1巻からむさぼり読み。あっと言う間に2時間以上立ち読んだ。 6時を回って酒井氏から着信。県庁前で待ち合わせる。連れて行っていただいた焼き肉のお店は、五割安という名前だった。ここのホルモンで、マルチョウというやつが絶品だそうだが、本日は入荷なし。それでもロースやカルビ、ハラミなどを乱れ食う。 DSCF1820.jpg DSCF1815.jpg DSCF1816.jpg そこで今回久々にお会いした酒井先輩から、爆弾発言あり。 おれ会社辞めて沖縄に住むことにした。 キター! 酒井氏は51歳。大手の航空会社に長年お勤めで、現在は部長職にある。その席を投げ捨ててでも、このあとの人生を自由にしたい、と気がついたということだ。天晴れ天晴れ。 そして沖縄で、なにか自転車に関係した仕事を自営してみたいと夢を語る。というのも、酒井氏は沖縄に赴任したときに今の自転車の師匠に出会い、ロードレーサーを駆ってレースなどにも参加するまでの、自転車趣味人になっている。良いではないか! 昨日お会いしたアカミネさんの言葉にも、人生で大事なのはお金を稼ぐことではなく、自分の好きなことで収入を得て楽しく暮らすことだというニュアンスのことがあった。まさに酒井さんはそれを実践に移そうとされている。ヨッシーも微力ながら、なにかでお手伝いできればなあ、と思った。 DSCF1819.jpg 最後にお店のご主人、奥さんと記念撮影。酒井さんとはお店の前で別れ、徒歩でカムカムに帰還。ローレンがいたので、ゆんたくルームでお話する。何人かで雑談しているなかに、マイケルジャクソンのイベントが那覇で開催中であるという話題になる。それでヨッシーも、そのことについてラジオで聴いたことを思い出した。 なんでも、マイケルが若いときに受けたインタビューか何かの録音を会場で聞くことができるらしい。それを聞いてきたという日本人の旅人に、 それって英語やんね。 とヨッシーが確認すると、ちゃんと日本語訳がついてるから大丈夫、と、教えてくれた。 すかさず、ローレンに、「日本語やって、良かったじゃん」、と言ってしまうヨッシーはクドいか? 12時ごろ眠りにつく。 走行 0キロ 出費 319円 (弁当、発泡酒)

那覇 アカミネさん&ローレン! [沖縄編]

2010年3月1日 月曜日 114日目 カムカムでお目覚め。今日も外は晴れている。本日は豊見城まで、アカミネさんに会いに行く。アカミネさんは、我が心相鑑定の師匠、宮城悟からの紹介で今回初めてお会いする。スポーツクラブなどを経営されている方で、何回か連絡を取り合ったがお忙しい人なんでなかなかお会いできなかった。今日はお昼ご飯をご一緒する予定だ。 午前中はカムカムでゆっくりして、11時過ぎに自転車に乗って現地に向かう。だいたいの場所は電話で聞いているが、迷ったときのことを考え、時間に余裕を見て出発。ヨッシーは子供の頃から方位や道順の勘がよい。方位さえ間違わなければ、適当に進んでも目的地につける。人間磁石と呼ばれたことは今までに無いが、そういう特技があるのである。 でも最近はその能力もちょと曇りがちで、たまに道を間違ったりする。年のせいかなあ。 DSCF1808.jpg 今回は余裕で待ち合わせのスポーツクラブを捜し当てる。近くから電話して、まずは会社の事務所に通される。りっぱなソファーの置いてある社長室でご挨拶。アカミネさんは宮城師匠と同い年で、長年のつきあいになるということで、ヨッシーも歓待してくださった。Tシャツに短パンのラフなスタイルで、顔つきは漫才師のサブローシローのシローに似ている。 DSCF1809.jpg DSCF1810.jpg DSCF1811.jpg DSCF1812.jpg すぐとなりのうみんちゅ小屋という魚自慢のお店で昼食。ここは定食を頼めば、写真の総菜やカジキ汁が食べ放題、コーヒーもお代わり自由である。ヨッシーは魚からあげ定食680円を選択。 DSCF1813.jpg 会食しながら沖縄のことや自転車旅について語る。アカミネさんは終始、ヨッシーの旅のことをうらやましがられ、自分が仕事で自由な時間が取れないことを嘆いておられた。スポーツクラブのほかにビルも6つ持っているそうだが、お金があっても今楽しんでなければ人生の意味は無い、とまで言われた。またこんど、45年ものの泡盛が飲めるいい店に連れて行ってあげようと約束いただく。 会食後カムカムまでもどり、夕方までまったり。宿のスタッフが今夜はパーティーやります、と言っている。参加費200円で、前回はチーズフォンデュをやっていた。今夜はお好み焼きらしい。 夕方、15人ほどが集まってパーティ開始。隣に座った大阪からきた32歳の女の子は、前職のとき甲子園五番町で働いていたらしく、ヨッシーの実家近くなのでびっくり。それから、日本語ペラペラのイギリス人、ローレンとおしゃべりする。日本に来て3年でこんなに話せるなんてすごいなあ。でも逆にローレンが英語しゃべってるイメージが沸かん。酔ってきたヨッシーは、ほんとに英語できるの?と何回も聞いてしまった。シツレイ! DSCF1821.jpg ローレンはいま、京都大学で「おもろそうし」、の研究をしていて沖縄に来たという。そして京都に行く前は、我が母校関西学院大学でも学び、そのときは阪急西宮北口あたりにすんでいたという。これもヨッシーのテリトリーで、びっくり!ローレンが西宮北口のことを略して「にしきた」、と言うので、またしても、ホントに英語しゃべれるの?と突っ込みを入れてしまう。 結局2時過ぎまでパーティは続き、ヨッシーは先に寝床に入った。 走行 15キロ 出費 1608円 (カムカム、パーティ、発泡酒)

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