興部~下川町 本物のジンギスカン [北陸~北海道の巻]
2011年8月11日 641日目
みな朝早く、カオリ、牛島さんと出発していく。
今日こそは、今日こそは内陸に入るぞ~、と8時出発。国道239を名寄方面に。向かい風に手こずる。
鹿には負けるから飛び出さんとってな。
10時、西興部の町に入ったとたん、異音とともにチェーンが切れた!え、なんで?
とにかくすぐ先にセイコーマートがあるから押したりしながら日陰に避難。ダメになった一コマを切り離し、つなぎ直せば修理終了だが、なぜ切れたのか原因が分からないのが不安。
さっき走っていたときすれ違ったロードバイクの兄さんが追いついてきた。修理を終わったヨッシーに、ガリガリ君を差し出してくれる。うれしいいい~。
兄さんはこの先の下川町のひとで、アマチュアレースにでるためにトレーニング中である。ちなみに自転車で熊に出会ったことがあるか聞いてみたら、幹線道ではないが、一度ローカル道路で道の真ん中に座ってるところに出会い、しかたなく引き返して50キロも遠回りして家に戻ったそうである。
西興部の道の駅には自動演奏のオルガンがあった。木の人形も演奏に合わせて踊るのだ。ちょうど時間になったので演奏を楽しんだが、動きが単調ですぐに飽きた。でもそれは最近のおもちゃやエンタが、複雑でなめらかな動きをするのに慣れてしまっているからだろうな。イカンナア。
西興部から先はじわじわ登りが始まる。天北峠300mを越えねばならんのだ。ピークはどこだ?と軽いギアで登っていくと、あっけない感じで峠の看板まで来た。でもジャガしかし、上り坂はまだまだ続いている。
結局看板から1キロ走ったところに頂上があった。どうやら北海道ル-ルでは、峠の手前に看板を設置することになっているようである。なんでやろ?
下り坂になって快調に走る。見かけた看板には無人販売の野菜ハウスとある。行ってみたいが4キロ先か。今回はパス。
流れているのは名寄川。天北峠が分水嶺になり、この川は始まっている。先は天塩川に合流し、サロベツ原野でヨッシーが渡ったあの先で日本海に注いでいるのだ。
3時に下川町に着いた。そしてここにも列車ホテルがあるんだな。無料なのも同じ。もともと興部と名寄を結ぶ鉄道路線があったのだがすでに廃線になっており、使われていた汽車を残してこうやって活用しているという話なのだ。
そばのバスターミナルで申し込む、とツーリングマップル(地図)にあったので行ってみたら、管理人とおぼしきおっちゃんに、別の場所で申し込んでくれと言われる。
下川町ふるさとナントカ公社?忘れた。書類に記入。買い物してから列車に戻る。
興部のとはやや趣はちがうが、ここも快適そうである。
隣の列車は?ジンギスカン専用のスペースになってる、とおっちゃんが教えてくれた。ほ~、今夜は予約が入ってるようで、すでに準備がされている。
社内は30度を超えているが、窓からはいる風が涼しくてそんなに高温には感じられない。
下川町は、この広い道路を挟んで両側に広がっている。なんだか西部劇の街みたいに見える。
静かに日が暮れていくのを楽しむ。写真だけ見ると世界の車窓から、みたいやろ。
外の駐車場で自炊。今日は半額の鶏肉が手に入った。じゅうじゅう焼いてジンギスカンのたれをかけていただく。となりのジンギスカンスペースの借り主がやってきた。幹事、と思われるおっちゃんがヨッシーに話しかける。なにを食べとるんだ?みたいな感じ。
鳥のステーキにジンギスカンのたれをかけたら、なんでもジンギスカンや!と言うヨッシーを鼻で笑う。そんなのジンギスカンじゃねえ、と言うがそれじゃあ旅人はいつまでも本物は食えねえじゃん、と言い返す。
そしたら、まあ待て、あとで呼んでやるから、と相成った。作戦成功、である。
10人ちょっとが集まり、宴会は始まった。外で出番を待つヨッシー。30分後、おいでおいでされたので参加する。
生ビールとジンギスカンをごちそうになる。お世辞じゃなくておいしかった。まずは匂いにやられた感じ。なんだか懐かし~い、昭和30~40年頃の夕暮れの町にはこんな感じのいい匂いが満ちていたな~、って思った。
北海道のジンギスカンは2通りある。生の肉を焼いてそれをタレにつけて食べるのと、焼く前にタレにつけ込んでから調理する方法。地域によって、また人によってもこちらが本家であると譲らない状態である。今夜は後者のレシピであった。
9時頃お開きになる。残ったおむすびやみかんや軍手やうちわ、漬け物などを持たせてもらい、隣の列車に戻り寝る。
走行 60キロ 出費 1091円 (たまご、もやし、鶏肉、えだまめ、キャベツ、カップめん、おにぎり、ジュース、コーラ、酎ハイ、発泡酒)
みな朝早く、カオリ、牛島さんと出発していく。
今日こそは、今日こそは内陸に入るぞ~、と8時出発。国道239を名寄方面に。向かい風に手こずる。
鹿には負けるから飛び出さんとってな。
10時、西興部の町に入ったとたん、異音とともにチェーンが切れた!え、なんで?
とにかくすぐ先にセイコーマートがあるから押したりしながら日陰に避難。ダメになった一コマを切り離し、つなぎ直せば修理終了だが、なぜ切れたのか原因が分からないのが不安。
さっき走っていたときすれ違ったロードバイクの兄さんが追いついてきた。修理を終わったヨッシーに、ガリガリ君を差し出してくれる。うれしいいい~。
兄さんはこの先の下川町のひとで、アマチュアレースにでるためにトレーニング中である。ちなみに自転車で熊に出会ったことがあるか聞いてみたら、幹線道ではないが、一度ローカル道路で道の真ん中に座ってるところに出会い、しかたなく引き返して50キロも遠回りして家に戻ったそうである。
西興部の道の駅には自動演奏のオルガンがあった。木の人形も演奏に合わせて踊るのだ。ちょうど時間になったので演奏を楽しんだが、動きが単調ですぐに飽きた。でもそれは最近のおもちゃやエンタが、複雑でなめらかな動きをするのに慣れてしまっているからだろうな。イカンナア。
西興部から先はじわじわ登りが始まる。天北峠300mを越えねばならんのだ。ピークはどこだ?と軽いギアで登っていくと、あっけない感じで峠の看板まで来た。でもジャガしかし、上り坂はまだまだ続いている。
結局看板から1キロ走ったところに頂上があった。どうやら北海道ル-ルでは、峠の手前に看板を設置することになっているようである。なんでやろ?
下り坂になって快調に走る。見かけた看板には無人販売の野菜ハウスとある。行ってみたいが4キロ先か。今回はパス。
流れているのは名寄川。天北峠が分水嶺になり、この川は始まっている。先は天塩川に合流し、サロベツ原野でヨッシーが渡ったあの先で日本海に注いでいるのだ。
3時に下川町に着いた。そしてここにも列車ホテルがあるんだな。無料なのも同じ。もともと興部と名寄を結ぶ鉄道路線があったのだがすでに廃線になっており、使われていた汽車を残してこうやって活用しているという話なのだ。
そばのバスターミナルで申し込む、とツーリングマップル(地図)にあったので行ってみたら、管理人とおぼしきおっちゃんに、別の場所で申し込んでくれと言われる。
下川町ふるさとナントカ公社?忘れた。書類に記入。買い物してから列車に戻る。
興部のとはやや趣はちがうが、ここも快適そうである。
隣の列車は?ジンギスカン専用のスペースになってる、とおっちゃんが教えてくれた。ほ~、今夜は予約が入ってるようで、すでに準備がされている。
社内は30度を超えているが、窓からはいる風が涼しくてそんなに高温には感じられない。
下川町は、この広い道路を挟んで両側に広がっている。なんだか西部劇の街みたいに見える。
静かに日が暮れていくのを楽しむ。写真だけ見ると世界の車窓から、みたいやろ。
外の駐車場で自炊。今日は半額の鶏肉が手に入った。じゅうじゅう焼いてジンギスカンのたれをかけていただく。となりのジンギスカンスペースの借り主がやってきた。幹事、と思われるおっちゃんがヨッシーに話しかける。なにを食べとるんだ?みたいな感じ。
鳥のステーキにジンギスカンのたれをかけたら、なんでもジンギスカンや!と言うヨッシーを鼻で笑う。そんなのジンギスカンじゃねえ、と言うがそれじゃあ旅人はいつまでも本物は食えねえじゃん、と言い返す。
そしたら、まあ待て、あとで呼んでやるから、と相成った。作戦成功、である。
10人ちょっとが集まり、宴会は始まった。外で出番を待つヨッシー。30分後、おいでおいでされたので参加する。
生ビールとジンギスカンをごちそうになる。お世辞じゃなくておいしかった。まずは匂いにやられた感じ。なんだか懐かし~い、昭和30~40年頃の夕暮れの町にはこんな感じのいい匂いが満ちていたな~、って思った。
北海道のジンギスカンは2通りある。生の肉を焼いてそれをタレにつけて食べるのと、焼く前にタレにつけ込んでから調理する方法。地域によって、また人によってもこちらが本家であると譲らない状態である。今夜は後者のレシピであった。
9時頃お開きになる。残ったおむすびやみかんや軍手やうちわ、漬け物などを持たせてもらい、隣の列車に戻り寝る。
走行 60キロ 出費 1091円 (たまご、もやし、鶏肉、えだまめ、キャベツ、カップめん、おにぎり、ジュース、コーラ、酎ハイ、発泡酒)
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