崎戸~夕陽ヶ丘そとめ 洞窟探検&夕日 [九州編その3!]
2011年4月12日 火曜日 520日目
晴れ。夜空がきれいだった分、放射冷却で朝方寒かった。トイレまでは距離があるので自転車で行って戻ってきたら、海岸散歩中のおじさんと目があってお話しする。
昨日から海のそばに一軒だけお家があり、その庭にアマチュア無線のアンテナが立っているのが気になっていたのだが、まさにそのおじさんのお家だった。
いま65歳。50代に早めのリタイヤ生活に入いり、その後は趣味三昧だそうだ。もともとこの島の出身で、炭坑のあった時代も知っている。そのころのにぎやかな様子も教えてくれた。
さっき海を見に来たのは、アメリカの原子力空母が佐世保に入港すると聞いたから見に来たんだとか。ここからは沖を出入りする戦艦などが、とてもよく見えるらしい。おばあさんなんかは、連合艦隊が出撃していくのを眺めたんだとか。
そのおばあさんが戦時中、敵の戦闘機に機銃で撃たれ、藪の中に逃げ込んで無事だったんだが、藪で誰かの野グソを踏んづけて悔しがってたとか。
昨日通ってきた、馬鹿でかい芝生広場の33公園のところには、炭坑町があったんだとか。長屋がびっしりと立ち並び、一つの町のようだったそうだ。ヨッシーがたまたま見つけた昔風の古いプールの跡は、そのころの遺産で、おじさんも子供の頃泳いだんだと。すごい!生き証人現るってことだな。
そのころは2万4千人いた島の人口も、今は1700人になり、これでは税収がなくてやっていけないということで市に合併したが、とたんに行政サービスが悪くなったんだと。
あと、ヨッシーも少なからず無線をやってたこともあり、そういう話でも盛り上がって1時間半ほど立ち話していた。
テントを撤収したところ。後ろにアンテナが立ってるのが見えるかな?
長話の影響で、10時出発。島からでるには大島大橋を渡るしかないから、元来た道を戻る。
大島の商店街と看板にあるが、その方向には~
おお!歓楽街の入り口がある~。これも炭坑のあった頃の名残かな?いまは大きな造船所があるので、工場の人が夜を楽しみに来られるのかも。
大橋から海をみたら透き通ってウツクシ。
橋を渡りもとの国道202に戻って右折。南に走る。登って降りたところに、七ツ釜鍾乳洞がある。
国の天然記念物なんだから見ていく価値はある。
入場料500円を払って、一人穴蔵に向かう。ちょっと不安になって、案内係の女性に、「一人でも怖くないかな~?」、と聞いたら、ちゃんと明かりがついてるから大丈夫ですよ、とアッサリ送り出された。
ちょっとドキドキしながら洞窟内へ。寒暖計は10度くらいを指している。
明かりはいっぱいやけど一人はやっぱり寂しいなあ。おねいさんと歩きたかったなあ。
コンクリの歩道の下には水が流れている。
ところどころ鉄の階段がついていて歩きやすいが、さっきのアンテナおじさん曰く、昔は照明などなく、地面もそのままで地下足袋履いて案内係の持つカーバイトの明かりだけで歩いたという。ヨッシーはそんなんのほうがやってみたかったなあ。
なんじゃ!新世界はここにもあるがかや!しかしここには飲み屋街も芝居小屋もストリップ劇場もない。
単に広くなってる場所をそう呼んだだけ。
ん!この鉄製の柱は!岩が落ちてこないように支えておる。天然記念物なのにこんなに支えちゃっていいんだろうか?
踊りの間、と書いてあるので踊ろうかと思ったがそんなに広くもないのでダンシングはナッシング。
あ!またこんなことしてる。また天然記念物にプチプチを針金でグルグルにしとる!天然記念物やのに。
親子地蔵。
なるほど。そういう風に見えるな。ちょっとおどろおどろしいな。ちょっとゾクッとして後ろを振り返ったぞ。
先にどんどん進もう。
鍾乳石が少ないように思ってたらここで大きいのが待っておった。
しかも次は大石柱なんだそうな。ワクワク。
えっとね~。いろいろ苦労してこの写真を撮ったんだけどね~、ライトの位置が悪すぎ!逆光になる向きに照らしてどうするか!せっかくの見物が台無しじゃ。
どんどん階段を上がる。
峠も越える?
この先もまだまだ洞窟は続くけど、一般は立ち入り禁止。
最後のトンネルを抜けて、
プシュウウウ、っと音を立てて開くドアで外の世界に戻れた。
目の前の川の上流にこんなものが。ダムでもなし堰堤でもなし水道管でもなし。土石流をくい止めるためかな?
小屋が資料館になってる。
石とか化石とか並んでる。大した盛り上がりもなく素通り。
っていうか知らんうちに結構登っていたんやな。遊歩道をどんどん下る。
周囲の岩が、洞窟の存在を彷彿させとる。何となくそう思う。
桜の向こうに黄色い花畑。
天気がいいのもあって華やかに目に映る。
七ツ釜を後にして、国道202を南に。七釜郷という集落から、昔の街道を行く。
川には白鳥もいる。ヨッシーを見つけて泳いで近寄ってきた。なんかもらえると思ったのか?人擦れしとるな~。ナンモヤラナイ。
こういう里の道の方がいいよね~。
畑で作業中のおじいさんがヨッシーにビックリして話しかけてきた。この旧街道を、昔はバスが走ってたとか教えてくれた。その目の前の家の石垣の積み方が見事なので撮ってみた。
この角のところなんかウツクシ!
旧街道をでたところで待っていたのはおなじみのコイツ。立ち止まって写真を撮り、隣のトトロの隣に立ってる郵便受けみたいなのを見てアゼン!
え、写真撮ったらお金取るの?それってその中からジブリにいくらか払っているのか?払わずに勝手にコピーしててお金まで取ったらアカンがな~。しかも、
「次回作のために」
とか書いてある。次回もパクるのか?なんぼ田舎でもあかんやろ~。もちろんヨッシーは写真だけ撮ってお金は入れないのだ。
なんだろ?でっかい温水装置?あるいはソーラーパネル?しかしどうみても南側を向いていないのだ。理解不能のまま先へ行く。
板浦トンネルを抜けると大瀬戸の町である。ここで買い物。
海に浮かぶ島々も、とがったり絶壁だったり特徴がある。
海岸沿いの道は明るくていい。ただし写真からはわからんけど、結構登ったり下ったりを繰り返しているのであしからず。
午後3時半、長崎市に入った。
今日はがんばって道の駅夕日か丘まで行くのだ。そこで一級の夕日を見るのだ。
最後の坂がきつかったが、5時前に道の駅着。
なんだか腹が減ったので物産館で半額パンget。
併設の遠藤周作文学館は5時で閉館やった。明日も開館すると聞いたので、じっくり見てやろうねえ。
文学館前のテラスからもよい夕日が見える。なかなかポイント高いぞ。
遠くに見える島々。左の岩に穴が空いてるように見えるが???。あそこは通り抜けられるんやろうか?
がっつり夕日を鑑賞し、文学館前の芝生にテント張り自炊。車で来た鹿児島の男性とお話しする。おもしろい人で、この人もアマチュア無線をやるしカメラや車、旅好きで盛り上がって1時間くらい立ち話した。
焼酎飲んで寝る。
走行 45キロ 出費 2578円 (コーラ、パン、バナナ、もやし、豚肉、コロッケパン、ポテトサラダ、、いなり寿司、発泡酒、焼酎、鍾乳洞)
晴れ。夜空がきれいだった分、放射冷却で朝方寒かった。トイレまでは距離があるので自転車で行って戻ってきたら、海岸散歩中のおじさんと目があってお話しする。
昨日から海のそばに一軒だけお家があり、その庭にアマチュア無線のアンテナが立っているのが気になっていたのだが、まさにそのおじさんのお家だった。
いま65歳。50代に早めのリタイヤ生活に入いり、その後は趣味三昧だそうだ。もともとこの島の出身で、炭坑のあった時代も知っている。そのころのにぎやかな様子も教えてくれた。
さっき海を見に来たのは、アメリカの原子力空母が佐世保に入港すると聞いたから見に来たんだとか。ここからは沖を出入りする戦艦などが、とてもよく見えるらしい。おばあさんなんかは、連合艦隊が出撃していくのを眺めたんだとか。
そのおばあさんが戦時中、敵の戦闘機に機銃で撃たれ、藪の中に逃げ込んで無事だったんだが、藪で誰かの野グソを踏んづけて悔しがってたとか。
昨日通ってきた、馬鹿でかい芝生広場の33公園のところには、炭坑町があったんだとか。長屋がびっしりと立ち並び、一つの町のようだったそうだ。ヨッシーがたまたま見つけた昔風の古いプールの跡は、そのころの遺産で、おじさんも子供の頃泳いだんだと。すごい!生き証人現るってことだな。
そのころは2万4千人いた島の人口も、今は1700人になり、これでは税収がなくてやっていけないということで市に合併したが、とたんに行政サービスが悪くなったんだと。
あと、ヨッシーも少なからず無線をやってたこともあり、そういう話でも盛り上がって1時間半ほど立ち話していた。
テントを撤収したところ。後ろにアンテナが立ってるのが見えるかな?
長話の影響で、10時出発。島からでるには大島大橋を渡るしかないから、元来た道を戻る。
大島の商店街と看板にあるが、その方向には~
おお!歓楽街の入り口がある~。これも炭坑のあった頃の名残かな?いまは大きな造船所があるので、工場の人が夜を楽しみに来られるのかも。
大橋から海をみたら透き通ってウツクシ。
橋を渡りもとの国道202に戻って右折。南に走る。登って降りたところに、七ツ釜鍾乳洞がある。
国の天然記念物なんだから見ていく価値はある。
入場料500円を払って、一人穴蔵に向かう。ちょっと不安になって、案内係の女性に、「一人でも怖くないかな~?」、と聞いたら、ちゃんと明かりがついてるから大丈夫ですよ、とアッサリ送り出された。
ちょっとドキドキしながら洞窟内へ。寒暖計は10度くらいを指している。
明かりはいっぱいやけど一人はやっぱり寂しいなあ。おねいさんと歩きたかったなあ。
コンクリの歩道の下には水が流れている。
ところどころ鉄の階段がついていて歩きやすいが、さっきのアンテナおじさん曰く、昔は照明などなく、地面もそのままで地下足袋履いて案内係の持つカーバイトの明かりだけで歩いたという。ヨッシーはそんなんのほうがやってみたかったなあ。
なんじゃ!新世界はここにもあるがかや!しかしここには飲み屋街も芝居小屋もストリップ劇場もない。
単に広くなってる場所をそう呼んだだけ。
ん!この鉄製の柱は!岩が落ちてこないように支えておる。天然記念物なのにこんなに支えちゃっていいんだろうか?
踊りの間、と書いてあるので踊ろうかと思ったがそんなに広くもないのでダンシングはナッシング。
あ!またこんなことしてる。また天然記念物にプチプチを針金でグルグルにしとる!天然記念物やのに。
親子地蔵。
なるほど。そういう風に見えるな。ちょっとおどろおどろしいな。ちょっとゾクッとして後ろを振り返ったぞ。
先にどんどん進もう。
鍾乳石が少ないように思ってたらここで大きいのが待っておった。
しかも次は大石柱なんだそうな。ワクワク。
えっとね~。いろいろ苦労してこの写真を撮ったんだけどね~、ライトの位置が悪すぎ!逆光になる向きに照らしてどうするか!せっかくの見物が台無しじゃ。
どんどん階段を上がる。
峠も越える?
この先もまだまだ洞窟は続くけど、一般は立ち入り禁止。
最後のトンネルを抜けて、
プシュウウウ、っと音を立てて開くドアで外の世界に戻れた。
目の前の川の上流にこんなものが。ダムでもなし堰堤でもなし水道管でもなし。土石流をくい止めるためかな?
小屋が資料館になってる。
石とか化石とか並んでる。大した盛り上がりもなく素通り。
っていうか知らんうちに結構登っていたんやな。遊歩道をどんどん下る。
周囲の岩が、洞窟の存在を彷彿させとる。何となくそう思う。
桜の向こうに黄色い花畑。
天気がいいのもあって華やかに目に映る。
七ツ釜を後にして、国道202を南に。七釜郷という集落から、昔の街道を行く。
川には白鳥もいる。ヨッシーを見つけて泳いで近寄ってきた。なんかもらえると思ったのか?人擦れしとるな~。ナンモヤラナイ。
こういう里の道の方がいいよね~。
畑で作業中のおじいさんがヨッシーにビックリして話しかけてきた。この旧街道を、昔はバスが走ってたとか教えてくれた。その目の前の家の石垣の積み方が見事なので撮ってみた。
この角のところなんかウツクシ!
旧街道をでたところで待っていたのはおなじみのコイツ。立ち止まって写真を撮り、隣のトトロの隣に立ってる郵便受けみたいなのを見てアゼン!
え、写真撮ったらお金取るの?それってその中からジブリにいくらか払っているのか?払わずに勝手にコピーしててお金まで取ったらアカンがな~。しかも、
「次回作のために」
とか書いてある。次回もパクるのか?なんぼ田舎でもあかんやろ~。もちろんヨッシーは写真だけ撮ってお金は入れないのだ。
なんだろ?でっかい温水装置?あるいはソーラーパネル?しかしどうみても南側を向いていないのだ。理解不能のまま先へ行く。
板浦トンネルを抜けると大瀬戸の町である。ここで買い物。
海に浮かぶ島々も、とがったり絶壁だったり特徴がある。
海岸沿いの道は明るくていい。ただし写真からはわからんけど、結構登ったり下ったりを繰り返しているのであしからず。
午後3時半、長崎市に入った。
今日はがんばって道の駅夕日か丘まで行くのだ。そこで一級の夕日を見るのだ。
最後の坂がきつかったが、5時前に道の駅着。
なんだか腹が減ったので物産館で半額パンget。
併設の遠藤周作文学館は5時で閉館やった。明日も開館すると聞いたので、じっくり見てやろうねえ。
文学館前のテラスからもよい夕日が見える。なかなかポイント高いぞ。
遠くに見える島々。左の岩に穴が空いてるように見えるが???。あそこは通り抜けられるんやろうか?
がっつり夕日を鑑賞し、文学館前の芝生にテント張り自炊。車で来た鹿児島の男性とお話しする。おもしろい人で、この人もアマチュア無線をやるしカメラや車、旅好きで盛り上がって1時間くらい立ち話した。
焼酎飲んで寝る。
走行 45キロ 出費 2578円 (コーラ、パン、バナナ、もやし、豚肉、コロッケパン、ポテトサラダ、、いなり寿司、発泡酒、焼酎、鍾乳洞)
2011-04-29 18:09
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